帝国図書館を「諭旨免職」により追われたと思われる朝倉無声。
彼を帝国図書館長田中稲城に紹介した早稲田大学図書館長市島春城は、その経過を田中から聞いているはずだが、市島の日記によれば、朝倉をめぐる不祥事への言及はない。それどころか、朝倉の退職*1後も引き続き交際を続けている。坪内逍遥や三村竹清らの日記にも退職後の朝倉が登場することから、彼の性癖を警戒しつつ、その古書蒐集能力を頼りにしていたと思われる。
彼の死について、言及した日記を見つけたので紹介しておこう。
昭和2年4月5日 朝倉無声氏、昨日死去のしらせに八重を倶して吉田書店まで往き聞合せ、八重に香奠持たせ遣し自身は吉田に待ち居れり、是は道伴れのやうなる渠の妻や養子とやら未知の男を避けんが為めなり、遺稿遺物について悶着の予想もあれば也、河内へ帰葬と聞く、五十一歳、其人は気の毒又た愍然此の上なし。
出典は、『三田村鳶魚全集』第26巻(中央公論社、昭和52年5月)。朝倉無声を中心とする書痴のネットワーク、「朝倉無声山脈」を調べたら面白そうだね。
追記:「晩鮭亭日常」さんが復帰された。