神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

英文学者織田正信と坪内祐三


織田正信を『日本近代文学大事典』で引くと、


織田正信 おだまさのぶ 明治36[ママ]年12月16日〜昭和20年9月11日
英文学者。東京生れ。昭和二年東大英文科卒。陸軍士官学校学習院の教授を歴任。有島武郎に関し、その英文日記訳者として知られ、論考、解説も多い。英文学者としては評伝『ジョージ・ギッシング』『D・H・ロレンスの手紙』(昭和九・四紀伊国屋出版部)ほかウルフ『オーランド』、クロス『近代英米小説』、ハーディ『小説の科学』、プリーストリー『英国の小説』などがある。


本の雑誌』3月号の「坪内祐三の読書日記」には、織田正信について、祖母の弟と書いてあった。よくよく調べると、『雑読系』所収の「織田正信のこと」に、「父方の祖母の弟」と既に書いてあった。
『人事興信録』などで調べると、織田は愛知県一の長男とあり、坪内祐三の父嘉雄は愛知県利八、愛知県梅子の二男として大正9年10月生まれとあった。父方の祖母とは梅子のことになるね。


坪内祐三の母方の曽祖父は井上通泰、母泰子は童話作家2月2日参照。いつのまにか、「ウィキペディア」の「坪内祐三」に盛り込まれている)、父方の祖母の弟は英文学者織田正信ということになる。坪内祐三が文藝評論家となるのも血筋ということか。


祐三の父嘉雄の本籍地は名古屋市。坪内雄蔵(逍遥)は、安政6年5月、現在の岐阜県美濃加茂市に生まれ、その後、明治2年4月、一家を挙げて現、名古屋市笹島に移住している。はたして、祐三と雄蔵に縁戚関係はありやなしや。誰か、教えて!


追記:『坪内逍遥事典』中の「坪内家家系」によると、坪内逍遥の姉、留(とめ)(大正13年1月没)は、織田為三郎(栄房)(名古屋藩士明治27年8月没)という人と結婚している。まあ、これは、偶然でしょう。