神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

秋田雨雀は見た!三上於菟吉と長谷川時雨の同棲

秋田雨雀は頻繁に三上於菟吉の許を訪問して日記に記録を残してくれている。


大正5年11月18日 三上君のところで長谷川時雨女史と、徳田秋江君にあった。


大正6年1月22日 夜三上於菟吉君のところへ寄ったら、今井白楊君と長谷川時雨女史がいた。徳田秋江君もいた。後で時雨、三上の二人と津久土亭で御飯を食べた。三人で快く話した。


大正6年9月26日 午後、新劇研究会へ行く途中、三上於菟吉君の新居を訪う。時雨女史もいた。二人でぼくの影絵を壁にとった。瞑想的な僧侶のような顔にいった。


大正6年9月30日 帰途三上君のところに寄り、時雨女史なぞと義妹の死などについて十二時ごろまで話して(後略)


大正6年12月17日 夜、神楽坂に出て、三上君を訪う。徳田、長谷川女史、堀木(早稲田出の評論家志望)などと話した。徳田君は趣味のために持っている素質を失いかけている。


大正6年12月26日 それから町に出て、三上君を訪い、長谷川女史にもあい、山本に入りコーヒーを飲み、暮の町を見て歩いた。


大正7年2月9日 夜、三上君を訪う。長谷川女史と三人で演劇の話と日本の俳優論をして十二時過ぎまでいた。女史もいい脚本を書きたいといっていた。


大正7年4月18日 夜、三上君の家を訪うた。長谷川女史もいた。三上君は活動の世界社の仕事がしたいといってきかない。あんな仕事ができたらたいへんだ。強情をいってしかたがなかった。


大正7年9月25日 三上於菟吉君、長谷川しぐれ女史を訪い、夕食。堀江君がきたので散歩した。


大正7年10月19日 夜、三上君を訪うと、長谷川女史はすこしはげしい風邪で寝ていた。


大正8年1月28日 夜、三上君のところへ寄った。長谷川女史は「美人侍[ママ]」の原稿をつづけていった。


大正8年4月23日 非常によく晴れたので、洋服で家をでて三上君を訪う。(略)長谷川女史は原稿を入れる箱を張っていた。もうじきに移転するのだそうだ。


大正8年5月17日 夜、矢来の三上君を訪い、出版書肆をひらくことに対して反省を求めた。なかなか強情な男でいけない。長谷川女史はごちそうしてくれた。