神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

櫻澤如一と福田把栗


福田把栗という人について、『日本近代文学大事典』を引くと、


福田把栗 ふくだはりつ 慶応元・?〜昭和一九・九・一〇 
僧侶、漢詩人、俳人和歌山県新宮に生れた。名は世耕、詩に静処、絵に古山人の名がある。漢詩人として早くから名を成し漢詩集『逍遥集』があるが、明治ニニ年春、子規門に入って俳句をはじめ特異な風格を示した。「甲矢」三九年九月特集号に『亦可録』と題して把栗の詩文と俳句を収載した。


とある。俳人には全然興味はないのだけど、福田について調べたのにはワケがある。
三井甲之『手のひら療治』(アルス、昭和5年3月)によると、


又最近石塚左玄氏の食養法について直接指導を受けた櫻澤如一氏も子規系俳人福田把栗氏の近親であり、櫻澤氏もその文が詩を含んでをるを[ママ]思想家である。


とあった。櫻澤と福田は近親関係にあるようだ。


『手のひら療治』なぞ読んでいると、某先生に「オカルトだ!」と言われそうだが、三井は国家主義者としても知られる人物。昨年は、東京堂書店でフェアが開催されるなど、国家主義関係書のちょっとしたブームがあった。竹内洋佐藤卓己編『日本主義的教養の時代』(柏書房、2006年2月)もその一冊。この中に三井に関する記述があった。


同書の「第三章 写生・随順・拝誦 三井甲之の思想圏」(片山杜秀)によると、三井は明治16年生まれ、明治40年東京帝国大学国文学科卒、昭和28年没。蓑田胸喜とともに原理日本社を代表する人物であったという。


驚いたことに、初出時の論文から同書に収録する当たり、三井がはまっていた「手のひら療治」に関する4ページ分もの註が追加されている。そこには、三井は大正9年以降、健康問題への関心を深め、座禅式呼吸法、岡田式静座法、二木式腹式呼吸法、抵抗療法、断食療法、サンドウ式体操法、川合式強健術を試し、昭和3年には甲府中学校長江口俊博から、「手のひら療治」を伝授されたことが記されている*1


三井が各種の健康法にはまっていた時期は、村井弦斎も同様に岡田式静座法や断食療法などにはまっていた時期と重なり、当時の知識層の有り様として興味深い。もう一人、坪内逍遥もその日記によれば、岡田式静座法やエヂソンバンド(12月27日参照)だけでなく、色々試していたことがわかっており、いずれまた紹介するつもり。


追記:三井の『手のひら療治』の「出版についての著者の言葉」によると、「直接にお目にかゝつて此道についてお話を承つた方々は、その月日の順序から申しますと、櫻澤如一氏、三浦関造氏、細田多次郎氏、金澤光済氏、中山忠直氏であります」とある。中山忠直(3月10日参照)がこんな所にも登場している。

*1:出典は、『手のひら療治』