神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

国木田独歩と秋田雨雀


正直言ってこの二人の関係はよくわからない。劇作家秋田雨雀の年譜上は、「国木田独歩」は二度登場するが、いずれも独歩の死後である。該当部分の『秋田雨雀日記』第1巻、第3巻を引用すると、



大正8年5月10日 六時から独歩会へ出席。五十四、五名。晩餐中、田村江東氏、江木氏の挨拶。食後、坪谷、永田、杉村、中沢諸氏の談話があった。水野、坂本二君とすしやにより、坂本と静かに歩いて帰った。
(独歩十三回忌記念会)


『雨雀自伝』により出席者の何人かのフルネームがわかる。江木翼、坪谷善四郎永田秀次郎、杉村縦横(楚人冠)、中沢臨川
「坂本」は、確実に坂本紅蓮洞。
「水野」って、だれだろう?と、思ったが、水野葉舟だろうと思いつく。

昭和17年7月16日 小雨。午前九時から下谷初音町全生院[ママ](山岡鉄舟建立の禅寺)の独歩三十五回忌に行く。(略)定刻までに五十人ほどの各時代の人々が集まった。国木田治子夫人をはじめとして小杉未醒、鷹見(久)、中村(武)、相馬(泰)、主催者の東京社々長柳沼(渾[ママ]介)、編集部の新井八千代、顧問の一ノ木、画家の柳瀬(正)の諸君が集った。(略)国木田治子夫人はもう老人らしくなっていた。相馬泰三君とお茶を喫んだ。


戦時下の法事に出かけるほど独歩と親しい仲だったのか。
二人の接点は、島村抱月だろうか・・・