神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟


加能作次郎という名前も講談社文芸文庫『世の中へ・乳の匂い 加能作次郎作品集』の刊行により、少しは知名度がアップするか。私も、つい最近まで知らない人だったよ。


加能作次郎集』(富来町立図書館、2004年11月)によれば、


明治18年1月 誕生
明治40年4月 早稲田大学高等予科に入学。新たに講師となった片上伸の指導を受け、自然主義文学の感化を受ける。
明治41年9月 大学部文学科英文科に進む。大学では、坪内逍遥島村抱月戸川秋骨、片上伸ら教授陣の教えを受ける。
明治44年7月 早稲田大学を卒業。
 同  8月 島村抱月の推薦により、早大出版部に入る。
大正2年5月 早大出版部をやめ、片上伸・吉江孤雁らの推薦により博文館入社
大正6年6月 『文章世界』の編集主任
大正10年4月博文館を退社し、創作に専念。


片上伸の変な性癖を知った後では、彼の「指導を受け」というと、「大丈夫かいな」と思ってしまう(笑)が、それはさておき。
まず、加能と谷崎潤一郎の初対面はいつであるか、探ってみよう。
潤一郎と上山草人が初めて出会ったという、明治45年3月10日の「森の会」。この会については、秋田雨雀が『文章世界』7巻5号(明治45年4月1日発行)に記録を残している。
それによって、当日の出席者を拾ってみると、


人見、白鳥、佐藤、秋庭、前田、窪田、斉藤與里、津田青楓、上司小剣上山草人、松居松葉、洋画家柳敬助、徳田秋聲生田長江谷崎潤一郎、坂本紅蓮洞、生方敏郎、本間久雄、加能作次郎、『劇と詩』社の小澤久雄 など


この時が、確認できた範囲内では潤一郎と作次郎との最初の出会いになる。
追記;これよりも遡る可能性があることを発見。