『日本文壇史』第19巻を紐解いていると、驚いたことに、森鴎外が日記に谷崎潤一郎との初対面について記しているとある。幾つか読んだ潤一郎の伝記には、そんなことは書いてなかったと思う。鴎外と潤一郎に面識があるとは・・・
早速、鴎外の日記を見てみると、
明治44年10月27日 寂しき人々を見に、帝国劇場にゆく。(略)谷崎潤一郎と初対面す。
大正2年12月1日 書肆尚文館の主人水谷勝展に面会す。谷崎潤一郎の紹介せるなり。
大正3年1月13日 尚文館水谷勝展に天保物語を発行することを許す。
以前、鴎外の日記を読んだときには、谷崎兄弟に関心がなかったので、全然気づかなかったけれど、鴎外は潤一郎・精ニ兄弟の両方に会っているのだね。しかも、潤一郎は書肆を紹介している。今更『日本文壇史』、されど『日本文壇史』と言うべきか。
それにしても、『青春物語』などで、永井荷風や泉鏡花との出会いを記録している潤一郎は、なぜ、鴎外との出会いを語っていないのか、忘れてしまったのか、はたまた、意図的なものか、どうでしょうね。