ヨコジュンさんの著書でその名前を知った吉岡彌次将軍こと、吉岡信敬。その名前を著名人の日記の中に見つけた。
まずは、坪内逍遥の日記(『未刊・坪内逍遥資料集』第3巻)から。
ヨコジュンさんの研究によると、吉岡は大正12年までには読売新聞の記者をやめ、同年には出版関係の仕事をしていたとされるが、この時は何をしていたのだろうか。そして、青柳有美(はてなのキーワードもある人だ)との関係は?
『秋田雨雀日記』第2巻でもその名前を見ることができた。
昭和6年10月24日 もと文部大臣の秘書官をした名物男橘静二がアメリカで死んだ。きょう午後二時からスコット・ホールで追悼会がおこなわれた。吉田君ら司会。秋葉俊彦、大山郁夫、吉岡野次将軍、高田総長なぞが話をした。
橘静二は、吉岡が早稲田大学応援団長だったときの副団長だね。
また、「文部大臣」とは、大正4年8月10日から大正5年10月9日まで大臣を務めた高田早苗のこと。日記中の「高田総長」に当たる。
青柳有美は、井上章一『美人論』(朝日文芸文庫)で、その著書『最新結婚学』(1915年)が引用されているほか、『日本美人論』(明治出版社、大正2年)の著作もあるみたい。井上章一氏や小谷野敦氏の世界とも関わってきたぞ。