神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東大仏文学教室の若き群像


森茉莉街道をゆく」11月27日分で紹介されていたジイップ『マドゥモァゼル・ルゥルゥ』の翻訳(崇文堂、昭和8年1月)に協力したという東大仏文出身の前川堅市。


『日本近代文学大事典』などによると、

前川堅市 まえかわけんいち 明治35年1月7日〜昭和40年3月19日。京都生まれ。大正15年東京帝大仏文科卒。埼玉大文理学部教授を務めた。主要訳書には、スタンダール『アルマンス』(昭和8年春陽堂)、メリメ 『スタンダール(アンリ・ベール)』『書簡』(英訳)、アナトール=フランス『シニョラ・キアラ』などのほか、ゴーガン『ノア・ノア タヒチ紀行』(昭和27年岩波文庫)などがある。


前川と同年に卒業した市原豊太の「渡辺さん」*1によると、

渡辺さんは辰野隆先生が二年のフランス留学を終へて東大で講義を始められた大正十二年の春、仏文科の二年生であつた。同級に京都の伊吹武彦さん、音楽家でもあつた小松清さん、映画評論家の飯島正さんなどがゐた。一級下の新入生には、杉捷夫、水野亮、山田九朗河盛好蔵、川口篤、中平解らの諸君があり、私もその一人だつた。また我々の二年後には、小林秀雄今日出海三好達治中島健蔵、佐藤正彰、平岡昇、田辺貞之助の諸君が入つた。これらの人々がいはゆる辰野門下の初期グループで、皆仲の好い友達であつた。


残念ながら前川の名前は挙がっていない。ちなみに淀野隆三も小林秀雄らと同じ昭和3年卒業組だが挙がっていない。


(参考)前川は茉莉の『マリアの気紛れ書き』(『新潮』昭和51年11月号〜54年8月号。54年6月号休載)に「三十四年前にジィプの戯曲を翻訳した時も、カンで訳して、文法を後川(あとがは)研一といふ仏蘭西文学の人に直して貰つたのである」と出てくる*2

*1:『心』1975年7月号、『渡辺一夫著作集』第14巻附録追悼文集所収

*2:引用部分は昭和51年12月号に掲載されたと思われる。「三十四年前」とあるのは「四十四年前」の方が事実に即している。