神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大蔵財務協会で田村隆一の同僚だった山田亨

田村隆一の「青山さん」『僕のピクニック』(朝日新聞社、1988年)でちょっとした発見をした。昭和26年夏から大蔵財務協会に勤め始めた田村。同僚に有吉佐和子がいたが、そのほか、田村のデスクの前に、鎌倉から通う青年がいたという。その青年との会話。

青年は、東大の農学部を出たと云った。
「ぼくの祖父は小説を書いていたんですよ」
「へえ〜、どんな小説があるの?」とぼくがキョトンとした顔でたずねると、
「『渋江抽斎』」
と、青年はテレながら答えた。

これを読んで、最初は「祖父」は間違いで、この青年は東大農学部卒の星新一だろうと思ってしまったが、星ではつじつまが合わない点がある。よくよく調べると、鴎外の長女森茉莉の次男山田亨だ。山田について、『森茉莉全集』の年譜や小堀鴎一郎・横光桃子編『鴎外の遺産3』の「主要関係人名索引」*1などから情報をまとめると、

山田亨 やまだとおる
大正14年6月10日 山田珠樹・茉莉の次男として生まれる
昭和2年2月 珠樹と茉莉が離婚
昭和21年春 小堀杏奴宅で茉莉と再会
  22年9月 東京大学農学部林学科(林産学専修)卒
  49年4月現在 平凡社事典書籍部科学課勤務
  49年7月7日 三鷹禅林寺での鴎外忌の集まりで、茉莉に再々会、以降定期的に訪ねる
平成7年 没

平凡社への入社年が不明だが、昭和28年6月27日付森茉莉小堀杏奴宛書簡に「亨も仲間に話して、お母さんが困つてるからといつて企画を貰つてくれるさうだ」とあり、この頃は平凡社勤務と見るべきか。

(参考)珠樹が鎌倉に住んでいたことについては、2008年10月20日参照。

*1:同索引に「東大工学部卒」とあるのは、誤り。