神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大槻憲二の東京精神分析学研究所


『戦時下日本文化団体事典』第3巻(大空社、1970年7月。底本:『日本文化団体年鑑 昭和十八年版』)に、

東京精神分析学研究所


所在地 東京都本郷区駒込動坂町三二七
役員 所長大槻憲二、編集部員岩倉具栄、長崎文治
組織 会員組織(内部課−研究、講習、治療、教育、出版部)
設立の目的及事業 人間の深部(無意識)心理を研究し、その結果を応用することに依り個人(神経症患者)の治療及び国家社会民衆の心理的健康化を期す
沿革及既往事業 一.昭和三年創立 二.雑誌「精神分析」昭和八年五月創刊、昭和十六年三月号を以て廃刊 三.主として強迫神経症患者を治療せしこと百余名 四・五(略)
昭和十六年度主要事業 (略)

とある。


この東京精神分析学研究所との関係はよくわからないが、江戸川乱歩は『探偵小説三十年』中の「精神分析研究会」*1で次のように書いている。

その頃大槻憲二氏が精神分析研究会というものをはじめていた。フロイドの精神分析学が一般世評にのぼりはじめたのは大正の末期、私がまだ大阪にいた頃であった。私はこの新心理学に深い興味を感じたが、心理学には門外漢なので直接外国から専門書を取り寄せる考えはなく、邦訳書の出るのを待っていると、数年後の昭和四年末、アルスと春陽堂からほとんど同時に二つの邦訳フロイド全集が出はじめ、私は両方とも購入して愛読した。
その春陽堂の方の全集をほとんど一手に訳していた大槻憲二氏が昭和八年の初め頃、精神分析研究会というものをはじめ、私も誘われてそのメンバーに加わった。


この後、乱歩は、機関誌『精神分析』の第一号の口絵に会員の集まりの写真がのっているとして、長谷川天溪、松居松翁、その息子の松居桃多郎、田内長太郎、長谷川浩三、中山太郎、加藤朝鳥、小山良修博士の名前を挙げている。その他、写真には写っていないが、矢部八重吉、岩倉具栄、宮島新三郎も会員だったとし、更に高橋鉄もメンバーだったらしいと書いている。


乱歩は、『精神分析』創刊の頃を、精神分析研究会の創立の時期と思い込んでいるようだが、その前から同会は存在していたようである。


(参考)大槻憲二訳『フロイド精神分析学全集第8巻 分析療法論』(春陽堂昭和7年10月)の昭和7年9月付けの「譯者序文」によると、「本書引用中のフランス文は森茉莉子女史(故鴎外博士令嬢)にその譯意を教へられた。また巻末所載の、本全集第九巻『分析戀愛論』正誤表に就いては、精神分析研究会員廣井重一君の報告に待つところが甚だ多い」とある。

追記:
大槻憲二(おおつきけんじ)の略歴
『日本アナキズム運動人名事典』によると、明治24年11月2日〜昭和52年2月23日
兵庫県生。1918年早稲田大学英文科卒。ウィリアム・モリスの芸術社会主義体系の研究を『早稲田文学』に発表し、モリスを通じて農民文学へも関心をもち、吉江喬松、中村星湖、椎名其二、犬田卯らが1924年に始めた農民文芸研究会に初期から参加。
研究会の後身農民文芸会編の『農民文芸十六講』(春陽堂1926)や1927年2月の『文芸』農民文学特集号などに執筆。下中弥三郎らの農民自治会へも全国委員として参加し、第一次『農民』、第二次『農民』(農民自治会1928.8・9、全2号)までは農民文学について文筆活動を続けているが、その活動の方向性の違いから会を離れ、1930年代にはフロイト精神分析学の紹介者としての活動に移る。東京精神分析研究所所長をつとめた。


森茉莉は『冬柏』3巻12号(昭和7年11月)にフロラン・フェル「恋の町ウヰンナ−フロイドの側から見た」の翻訳を発表しているが、時期的に大槻との関係がうかがわれる。

*1:引用は『わが夢と真実』(光文社文庫、2005年6月)による。