神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東亜連盟期の石原莞爾と霊術家石川清浦ーークリントン・ゴダール「日蓮主義と日本主義との衝突」『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)を読んでーー

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 『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)中のクリントンゴダール日蓮主義と日本主義との衝突ーー日中戦争期における東亜連盟運動ーー」を読んでみた。石原莞爾について、「石原という人物のネットワークと、その昭和初期における思想的研究はあまりなされていない」という。そういえば、私も
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といった国家主義者や軍人の日記はわりと読んだが、石原の日記は読んだ覚えがない。そこで、ゴダール氏が挙げている野村乙二朗編『東亜聯盟期の石原莞爾資料』(同成社、平成19年3月)や玉井礼一郎編『石原莞爾選集』(たまいらぼ、昭和61年11月)を読んでみた。日記には、神田孝一など注目すべき人物が登場していた。しかし、今回は書簡に出てきた霊術家を紹介しておこう。昭和17年12月26日付け石原宛高木清寿*1書簡である。

合掌、今般(十二月廿一日)東亜聯盟雑誌用紙の配給が従来の半分に減らされました。
(略)
(二) 金井一郎君は二十三日迄、石川先生のところで治療を受けて帰国しましたが、相当神経質になってゐます。万難を排して健康確立のために、再度、石川先生のところへ来る様に申上ました。石川先生のお話では「十二月だけの治療で大体霊動をやれるまでに成れる。霊動をやりたかったら 又 一月に出て来る事がよろしい」と云ふ事でした。
(略)
(七) 石川先生に富山の森丘氏宅の霊動講習会に御出願ひました。石川先生の説教をうかがひましたが、大したものでした。先生の修行のはげしかった事等もうかがひました。今度から小生を「霊動の講習会の指導が出来るまでにして下さる」と申されましたので、去る十一月から必至で霊動をはげんでゐます。目下 朝夕 気合の修行をしてゐますが、明年の寒稽古には石川先生のところで修行させていただく事にしてゐます。(略)
(八) 樋口義重君は石川先生から「万難を排して霊動をやる様にすすめます。然らざれば、余命いくばくもあるまい」云はれましたので、今度は真剣になってはじめ、毎日やってゐるとの事です。(略)

 「石川先生」の霊動が、大繁盛だったようだ。この石川先生、野村編の「人名索引」によると、石川清浦である。石川清浦であれば、ヨコジュンさんの『明治バンカラ快人伝』(ちくま文庫、平成8年2月)に登場する自転車世界無銭旅行者で霊動法の開祖となった中村春吉の弟子である。また、中村の冒険談を小説にした『完全版幻綺行』(竹書房文庫)は、日下三蔵編で昨年6月に刊行されたばかりだ。ヨコジュンさんの前掲書によると、石川の米寿記念に刊行された『霊動の道』(霊動会、昭和43年6月)に、中村が大正14年四谷に「中村霊動治療所」を開き、翌年石川が門人となったことが書かれているようだ。ググったら、シンクロニシティ(?)で『霊動の道』がヤフオクに出ていた……1,000部発行されているので、いつか均一台で出会えるか*2
 戦時下の霊術家で石川というと、「戦時下の霊術家 - 神保町系オタオタ日記」で言及した森田草平の日記に登場する霊術家がいて、これも石川清浦だったかもしれない。こちらの方は、既に横山さんに御教示いただいたような気がする。
 石原は、戦後正規陸軍将校(中将)及び一般該当事項として「東亜聯盟顧問」により、公職追放となり、昭和24年8月15日60歳で没。一方の石川は、米寿記念に本を出してもらえるほど繁盛(?)したようだ。
 

*1:野村氏の解題によると、高木清寿(1903-1996)は、早稲田を出て報知新聞に入り、仙台記者時代に名連隊長としての石原を知り、爾来、石原に傾倒して国防研究会を創った。石原の参謀本部時代に誘われて満州国協和会東京事務所指導部長となる。

*2:昭和女子大学図書館と東大の奈良毅文庫が所蔵