奥泉光『神器―軍艦「橿原」殺人事件』には、天津教もどきの皇祖神霊教やムー大陸が出てくるらしい。ムー大陸については、ヨコジュンさんの「恐怖病」*1にも登場しているが、これが興味深い。明治39年12月23日に、村上濁浪が幸田露伴の家に赴くと、ミュー大陸と月世界を結びつけた小説を『探検世界』に書いてくれるというくだりがある。この時点では、ミュー大陸(ムー大陸)という妄説は存在していないはずだが、露伴との組み合わせは気になるところである。というのも、1月28日などに言及したとおり、後年の露伴の周辺にはムー大陸の知識を有する人物が存在していたからだ。ヨコジュンさんの明治物には、細部にまで典拠があるというから、もしかしたらこの一節にも何か根拠があるのだろうか。
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「読書の話」(昭和17年6月号)
「(読書の話)大東亜共栄圏と日本の主婦」(17年8月号)
「(読書の話)隣組と主婦の読書」(17年9月号)
「(読書の話)これからの主婦の読書」(17年11月号)
「(読書の話)主婦の信念と教養」(17年12月号)
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『人文学者の悲哀』は、昨年の『出版ニュース』1月上・中旬合併号では、「書きおろしとしては平凡社新書『文学研究者の悲哀(仮)』となっていた。
晩年の里見なら、こういうもの(「鶴亀」−引用者注)は書かない。同じように<<時>>を扱ったら、どうなるか教えて教えてくれるのは小谷野敦氏だ。『里見弓享伝』(中央公論新社)で、<<いかにも談話筆記>>のような形態の『小坪の漁師』を珠玉の名品と熱く語る。なるほどそうだと思わせられる。教えられて知ったのは有り難いが、それを語るのが自分でなかったのが口惜しくなる。
とある。北村氏も読んでた里見とん伝。
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次号の『彷書月刊』の南陀楼綾繁「ぼくの書サイ徘徊録」で、「古本ツアー・イン・ジャパン」氏の正体がわかるらしい。誰ぞの衝撃的な正体も明かしてほしいだす〜