神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ここにも薄井秀一が出てきた。


朝倉文夫の日記は存在するはず*1だが、公刊されてはいない。その一日分だけでもトンデモなく面白い記述がある。『美術週報』2巻7号(大正3年11月15日)所収の朝倉の「一日一日記」によると、

十一月三日(火) 
海のローマンスの著者から依頼された「海と人」の表装を画く(略)
夕刻鋳造家を訪ねる、来客で迎ひに来るビンチ好きな薄井君、海と人の著者と丸い火鉢を鼎に囲つて十年前の物語で花が咲く。


文意がよくわからないが、「薄井君」は薄井秀一の可能性がある。ヨコジュンさんの『明治時代は謎だらけ』所収の「海にも出てきた薄井秀一」によると、米窪太刀雄の『海のロマンス』(誠文堂書店・中興館書店、大正3年2月)には漱石、鳥居素川、杉村楚人冠渋川玄耳の「序」があり、そのうち玄耳の「序」に、『朝日』にいた時、薄井君の紹介によって『海のロマンス』を同紙に掲載したことが書かれているという。また、米窪は「はしがき」で「先輩薄井秀一氏」への謝辞を述べているという。更に、ヨコジュンさんによると、米窪の『海と人』*2(中興館書店・誠文堂書店、大正3年11月)の巻末には、薄井秀一「海を恋する若き船人」が付録として収録されているという。オタどんも調べてみると、後者の装幀は確かに朝倉であった*3


薄井と朝倉が知り合いだったことは、一昨年9月8日に言及したところである。「十年前の物語」とは何のことか気になるところである。当時、朝倉は東京美術学校で学びながら、太平洋画会研究所に通っていた時期に当たる。薄井と朝倉は、後々まで親しく交際していたようで、大正8年10月18日日本橋錦水で行われた薄井秀一英国行送別会には、小宮豊隆、松岡譲らと共に、朝倉も出席している*4


(参考)一昨年9月8日同年11月6日昨年2月5日

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今週の黒岩さんの書評は、田辺徹『美術批評の先駆者、岩村透』(藤原書店)。出番は、来週かと思ってました。
美術批評の先駆者、岩村透 ラスキンからモリスまで

朝日の別刷『be』では「ガンダムの科学」の連載開始。今回は、機動戦士ガンダム00 (ダブルオー)の軌道エレベーターの話。そうだ、朝日の本紙の方には黒岩さんのコメントも載ってたね。

*1:『郷土の先覚者シリーズ第5集 前野良沢朝倉文夫』で朝倉を担当した田村卓夫氏が「<あとがき>ノート」に「故人の日記がまだ未整理のため利用できなかったことが心残りである」と書いている。

*2:ヨコジュンさんは『人と船』と誤記している。

*3:序文は岩村透。朝倉夫妻の仲人でもある。

*4:ちなみに私が薄井と同一人物とする北澤秀一も、『近代日本の表現』(改造社大正12年4月)で「私が千九百十九年にロンドンへ来」たと書いている。