神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

謎の樋口二葉


樋口二葉というふざけたような名前の作家がいた。ヨコジュンさんの「樋口一葉のSF童話」『古書ワンダーランド2』は、某古書店の目録に樋口一葉『理科新お伽』(晴光館書店、明治42年12月)を見付け、一葉のおとぎ話かと思い注文したら、二葉の誤植だったという話から始まっている。この二葉だが、日本書誌学大系35の樋口二葉『浮世絵と板画の研究』の「凡例」によると、本名樋口久。浮世絵師から新聞記者に転じ、昭和5年10月28日68歳で没*1。著述は多くなく、本書の他に、『風俗』などに江戸風俗に関する数篇があり、稀書複製会編纂『稀書解説』の第1−6編を起草しているという。


NDL−OPACによると、二葉は新六という筆名も有していたようである。そこで、『明治新聞雑誌関係者略伝』を見てみると、樋口新六は、

明治十九年四月頃『東京絵入新聞』の記者。なお明治二〇年一月六日同紙上には『絵入新聞』社員として、古川精一、仮名垣魯文、石原明倫、山内文三朗、樋口新六、落合幾次郎の六人の名が記されている。宮武外骨のメモでは、「画工樋口種貞トノ関係如何」とある。同一人であるかも知れぬ。


とある。樋口二葉などと名乗ると、非難された可能性があると思われるが、いつからなぜそのような筆名を使っていたのか知りたいものである。

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1976年8月つま恋で開かれたある祭典のポスターは、12人のデザイナー、アーティスト、カメラマン、イラストレーター達が各自1点ずつポスターを作り、これらは渋谷の西武百貨店などでポスター展が開催されたという。内澤旬子さんの言っているのは、これかしら。ただし、肝心のポスターの作者は不明。

*1:この典拠は不明だが、三田村鳶魚の日記同日の条に「山田(清作−引用者注)氏妻女来り、樋口二葉氏今朝頓死のよししらせくれる、然れど、今日は香奠もなければ往かず、誠に気の毒の事、六十八歳なるべし」とある。また、坪内逍遥の日記同月30日の条には、「樋口二葉死、山田に頼みて香典10を贈る」とある。