神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-01-01から1年間の記事一覧

暁烏敏が妻に贈った二冊の本

黒岩比佐子さんの『パンとペン』258-9頁に、『売文集』(丙午出版社、明治45年5月)の「巻頭の飾」に寄稿した62人の一人として、暁烏敏があがっている。この暁鳥の日記を見ると、 明治36年9月25日 房へ『食道楽』『家庭の新風味』を贈る。 10月16日 『食道楽…

道頓堀にあった謎の古本屋「古本大学」

八木書店から刊行された『新派名優喜多村緑郎日記第一巻』に戦前道頓堀にあった古本屋「古本大学」が出てくる。 昭和7年3月20日 そこで長いこと食事をして、寺嶋氏の東道で「古本大学」へゆく。聞いた通り、空ン洞の古本の見世、ノツクによつて、その古本が…

大正期に健康法・民間療法書を刊行した伊藤尚賢

黒岩比佐子『パンとペン』342頁に『衛生新報』(衛生新報社発行、新橋堂発売)の発行兼編集人で大正年間に健康法や民間療法の本を多数書いた人物として、伊藤尚賢なる人物が登場する。実は、この人は黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』にも名前が出てい…

「東京の女」、水島幸子

さて、松崎天民『東京の女』(隆文館、明治43年1月)には、水島爾保布の妻水島幸子らしき婦人記者が出てくるので記録しておこう。 婦人画報は画家水野(ママ)某氏の夫人で、水野(ママ)幸子(二十六)と云ふ方あり。落合直文先生の門に学んだ事もあるさう…

坪内祐三氏の「『東京の女』をめぐる謎」の質問に答える(つもりだった)

『ちくま』11月号の坪内祐三「[探訪記者松崎天民・第三部]8・『東京の女』をめぐる謎」には、次のように書かれている。 十数年前に私が作った松崎天民著作目録には、最初に『新聞記者修行』(明治四十三年有楽社)が載っていて、続いて『東京の女』(明治四…

エラ・ケートの英語の授業を受ける橋浦時雄

黒岩比佐子さんの『パンとペン』が『東京人』12月号の「今月の東京本」で紹介されていた。ところで、『パンとペン』で引用されている『橋浦時雄日記第一巻』を見てたら、エラ・ケート(平井満寿の夫ポール・ケートの母)と思われる人が出てきた。 明治42年…

平山鉄太郎『沖縄本礼賛』(ボーダー新書)

平山鉄太郎『沖縄本礼賛』(ボーダー新書)は、古本本なのだ。著者平山氏は、立川市で生まれ育ち、現在は国分寺市住む沖縄本コレクター。本書には、ささま書店(荻窪)や球陽書房(高円寺)が出てくる。掘り出した沖縄本を、BOOKSじのん(宜野湾市)の…

永井荷風を支えた通いのお手伝い福田とよ

永井荷風は、昭和34年4月30日没。晩年の荷風宅をしばしば訪れたのは小林修という青年であった。また、遺体の第一発見者は福田とよという通いのお手伝いであった。前者の小林については、川本三郎氏が2004年7月4日付日経新聞の「晩年の荷風と小林青年」*1で、…

佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)への補足

佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)が加筆の上、文庫化された。私が発見した補足については、「甘粕正彦と謎の心霊研究協会」(2008年8月14日)、「甘粕正彦の南洋行」(同年10月23日)参照。甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)作者: 佐野眞一出版社/メ…

「誤訳家」三浦関造にクロポトキン自叙伝翻訳の先を越された大杉栄

大杉栄はクロポトキンの自叙伝の翻訳を『革命家の思出』として刊行しているが、三浦関造の方が先に翻訳している。三浦の翻訳については、大正4年9月21日付読売新聞の「豆えん筆」によると、 タゴールの誤訳家として知られた三浦関造君、新にクラポトキンの名…

売文の名にかくれたるお利口さ

黒岩比佐子さんの『パンとペン』350頁には売文社が学生の卒論の代作を引き受けていたことが尾崎士郎の小説によって示されている。森銑三によると、博士論文まで引き受けていた噂もあったようだ。森の『古い雑誌から』の「五 林若樹氏の川柳天の声」は、林が…

紅療法の発明者山内啓二こと山内不二門

山内啓二述、松浦玉圃記『紅療法講演録』(松浦玉圃、明治41年8月)の著者山内啓二は、本名山内不二門というようで、伝記も出ている。山内玄人編『伝記山内不二門』(1980年7月)の「不二門略年譜」によると、 山内不二門 慶応2年9月20日現在の宮城県生まれ …

売文社解散後の堺利彦の原稿料

大正8年7月22日付時事新報9面の「むせんでんわ」に「堺さんの原稿値上」として、 例の社会主義者堺利彦氏、葉書を各方面に出して曰く、「近来諸物価暴騰生活困難に付き、小生従来の稿料を五割方値上げ仕るの止むなきに立ち至り候間、悪からず御承知置下され…

カフェ・スズキと徳川夢声

徳川夢声「神保町昔ばなし」によると、 電車通りをこえて裏神保町を、駿河台の方向へ行くと、右側の所に寄席があった。たしか神田の立花というイロモノ席だった。(略) 何しろ四十年も昔の話、今の桂文楽老師達が、まだ若年のチャキチャキで夢みたいである…

堺利彦の愛猫

黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)9頁の写真には、堺真柄、堺利彦、高畠素彦、久板卯之助、岡野辰之助、堺為子、高畠初江が写っている。これと同じ時に撮った思われる写真が、『売文集』に掲載されている。森…

『かんだ』(かんだ会)創刊200号の目次

昭和37年9月30日創刊の『かんだ』(かんだ会)が9月30日発行の秋号で創刊200号を迎えた。目次は、 神保町昔ばなし 徳川夢声(創刊号から再録) エンタメ下から目線(3) 細馬一紀 あの町、この人(6) 梅谷桂三 カンダ・ナウ(55)中学校舎が文化芸術の拠点…

東京図書館主幹手島精一

古本合戦への祝辞、じゃなかった、ちょっこし図書館ネタ。東京図書館主幹としての手島精一を『小中村清矩日記』に発見。 明治20年12月21日 ○図書館主幹手島精一氏より同館季報(廿年七月より九月ニ至)恵送。 『東京図書館季報』はこの月に創刊。誰ぞも持っ…

社会主義者と忘れられた美女と大空詩人

同時代に生きていれば、どんな人物同士が面識があってもおかしくはない。社会主義者堺利彦、忘れられた美女及川道子、神保町の喫茶店田沢画房の「卒業生」*1で詩人の永井叔も例外ではない。前二者については既に今月1日に述べたが、この三名が一堂に会した時…

内藤民治の『中外』創刊祝賀会に出席した堺利彦

黒岩比佐子さんの『パンとペン』332頁に、内藤民治の『中外』の創刊を支援した実業家として登場する堤清六。 内藤民治『堤清六の生涯』(曙光会、昭和12年8月)を見ると、 三萬部からの月刊雑誌「中外」十月号が、刷り上つて、秀英舎の中庭に山と積まれた九…

黒岩比佐子『パンとペン』(講談社)から中森明夫『アナーキー・イン・ザ・JP』(新潮社)へ

重厚な黒岩比佐子『パンとペン』で勉強した後で、中森明夫の小説『アナーキー・イン・ザ・JP』を読むのも良いかもしれない。堺利彦の名前も出てくる。 −−いや、そのー、大杉・・・・サン?そもそも、いったい、あなたは何者なのかなって。 <うーん、まあ…

破船事件前後の久米正雄

阿部次郎の日記によれば、 大正6年10月29日 午後から藤間勘右衛門の舞踏会にて帝劇へ。茅野夫婦、森田夫婦、岩波、夏目未亡人、久米、赤木、松岡、徳田(秋江)、野上(豊)、横川、加藤(精)、高屋等にあふ。 11月11日 久米正雄破談の報をきく*1 (略)夜…

名曲喫茶田澤畫房の店主田澤學二と看板娘田澤千代子

大正末期に神田にあった田澤畫房という喫茶店については、2009年3月10日に言及して、その後店主や看板娘の名前も判明したが、店主の経歴が不明だったので、それっきり記事にしていなかった。私がぽっくりいっても、林哲夫氏なら再発見することも可能だとは思…

黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)への蛇足

黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、2010年10月)は、私が補足できるような隙はないのだが、366〜367頁で言及されている黎明会の解散時期について一言。黒岩さんが採用している解散時期の1920年(大正9年)夏(…

岡本一平の描いた堺利彦の顔

黒岩比佐子さんの『パンとペン』が東京堂書店のベストセラー第1位になってバンザイ。さて、同書のカバーをはずして表紙を見ただろうか。裏表紙には、岡本一平が描いた堺利彦の顔が載っている。これは、野依秀市編『堺利彦を語る』(秀文閣書房、昭和5年2月…

横田順彌と遠藤無水『社会主義者になった漱石の猫』

黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)に売文社分裂事件の経緯を書いたパロディ本として登場する遠藤無水『社会主義者になった漱石の猫』。私がこの本の存在を初めて知ったのは、ヨコジュンさんの『日本SFこてん…

ミュージアムと古本市

美術館や博物館での古本市というと、古くは京都文化博物館、最近では名古屋市博物館と芦屋市立美術博物館(今年は、11月5日(金)〜11月7日(日))がある。京都と芦屋のは何度も行ったことがあるが、名古屋のは行ったことがない(誰ぞとか、ナンダロウさん…

山本飼山と堺利彦の売文社

山本飼山は、黒岩比佐子『パンとペン』(講談社)に大正元年10月大杉栄・荒畑寒村により創刊された『近代思想』の執筆者の一人として名前が出てくる。この飼山の日記は『飼山遺稿』に収録され、研究者にはよく知られていると思うが、一般の人には知られてい…

本屋風情岡茂雄と岡田式静坐法

岡書院の岡茂雄も岡田式静坐をしたおかげで長生きした一人のようだ。岡の『閑居随筆』(論創社、1986年6月)所収の「幼年学校時代」によると、 そのころ(明治四十三年)であった。阿南(惟幾)生徒監に勧められ、伴われて岡田式静坐会場の一つであった阿南…

永井荷風と田端の天然自笑軒

荷風の『断腸亭日乗』は索引があるので「自笑軒」を引くと、載っていた。昭和3年2月26日の条には、駿河台の市川左団次(松莚)邸で開かれた例会に、荷風のほか、小山内薫、岡鬼太郎、池田大伍、川尻清潭が出席し、すっぽんの吸物、烏賊のさしみ、新芋に蕗の…

柳田國男に群がる図書館人(その2)

再び、「ジュンク堂書店日記」から引用させてもらおう。 多少好評(?)だった柳田國男の『炭焼日記』に見るズショカンインの話の第二弾。 1 大西伍一(後の府中市立図書館長) (昭和20年) 3月 9日 大西伍一君来、「村のすがた」一そろひを托し、片山…