山本飼山は、黒岩比佐子『パンとペン』(講談社)に大正元年10月大杉栄・荒畑寒村により創刊された『近代思想』の執筆者の一人として名前が出てくる。この飼山の日記は『飼山遺稿』に収録され、研究者にはよく知られていると思うが、一般の人には知られていないと思うので、少し引用してみよう*1。
明治45年3月16日 △夜、赤司繁太郎氏宅の基督教研究会に赴く。
5月5日 △堺利彦著『売文集』を求む、堺さんのやうな態度気分には到底なり得ぬが堺さんの人格、人生観には少なからず敬服する、殊にその唯物的社会主義に。
5月6日 △学校は一時間きり、『売文集』を読む、「巻頭の飾」を読みつゝ堺氏の現在と過去とを思ひ感慨に堪へず、されど予は某々氏の如く堺氏が所謂穏健の人とならん事を希望せず、飽く迄も×××××[社会主義者]として奮闘せん事を切に望む。
5月8日 △夜『売文集』読了、近来の快著也、売文社よ繁昌せよ、堺氏よ健在なれ、而して氏が売文事業を擲して大声××[革命カ]を叫ぶの日を予は切に待ち望む。
注:[ ]は編者による注記。
『売文集』は5月5日発行、発売日も同日だったと思われるので、飼山は発売と同時に買ったようだ。飼山は、明治43年9月早大英文学科入学、大正2年7月卒業。明治45年6月29日に売文社茶話会で堺と初対面。大正2年11月5日に自殺している。
なお、3月16日の条はおまけ。定本の注には不詳とされているが、その後赤司繁雄『自由基督教の運動 赤司繁太郎の生涯とその周辺』(朝日書林、1995年8月)が出ているので、今では多少知られた存在だろう。
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『パンとペン』読了。一気に読んではもったいないような気がして、少し時間がかかってしまった。相変わらず、先行研究を緻密に押さえた上で、幾つもの新知見を盛り込んでいて、「堺利彦山脈」として楽しませてくれた。専門の研究者の評価を知りたいところである。ひっかかったのは、たまたま気付いたのだが、「還魂紙」の読み方ぐらいであった。新著が出たばかりで、次作の話をするのもなんだが、個人的にずばり言ってしまうと、黒岩さんの体調が良ければ、『坂本紅蓮洞伝』に取り組んでほしいものである。多分、既に御本人の頭の中に多少構想はあるのだろうと推測している。
*1:『定本飼山遺稿』銀河書房、1987年10月