神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

坪内祐三氏の「『東京の女』をめぐる謎」の質問に答える(つもりだった)

『ちくま』11月号の坪内祐三「[探訪記者松崎天民・第三部]8・『東京の女』をめぐる謎」には、次のように書かれている。

 十数年前に私が作った松崎天民著作目録には、最初に『新聞記者修行』(明治四十三年有楽社)が載っていて、続いて『東京の女』(明治四十四年発禁? 改版は大正四年五月磯部甲陽堂)とある。
 この「明治四十四年発禁?」という一節は私の憶測ではなく、誰だったか専門家の記述を元に書き込んでおいたのだ。

坪内氏は、従来『新聞記者修行』(有楽社、明治43年6月)が天民の第一著作で、『東京の女』は出る前に発禁になった、幻の書のはずだと思っていたという。ところが、今回『東京の女』(隆文館、明治43年1月)が国会図書館にあることが判明したという。しかし、同書が刊行されていたことは確認できたものの、古書展や古書目録などでも目にしたことがないことなどから、市場に流布していたかどうかは確証が持てないとしている。そして、隆文館版と同じ内容で磯部甲陽堂版が刊行されていることから、「何故、隆文館版は発禁に?」、「そしてもし発禁になっていないとするなら、何故、まったく市場に出廻らなかったのか?」と疑問を投げかけている。

さて、この質問にわしが答えてみよう。まず、市場に出廻っていないという坪内氏の感触は間違いであろう。国会図書館のほか、関西大学など幾つかの大学図書館が所蔵しているほか、柴田流星『残されたる江戸』(中公文庫、1990年6月)の解説を書いた斎藤真一が、隆文館版を所蔵していることを明らかにしている。また、天民の『恋と名と金と』(弘学館大正4年1月)巻末の「松崎天民著書」には、「東京の女 再版」とある。以上のことから、市場に出廻らなかったということはない。

また、発禁の方については、斎藤昌三の『現代筆禍文献大年表』に記載がないので、何かの間違いであろう。と、これで、坪内氏への解答を終えるはずであった。ところが、天民の『女八人』(磯部甲陽堂、大正2年9月)巻末の「松崎天民の著作」には「東京の女(隆文館)禁止」とある。隆文館版は発禁になっていたようだ。更に話をややこしくする情報を示すと。斎藤の大年表の明治44年9月の欄に、「東京の女 柴田流星 河本亀之助」とある。河本は洛陽堂の主人の河本で、都立中央図書館が柴田の『東京の女』(洛陽堂、明治44年9月)を所蔵しているようだ。明治44年に二種類の『東京の女』が発禁になったと見るべきか、それとも、大年表の記載は誤りで、天民の『東京の女』のみが発禁になったと見るべきか。どちらにしても、発禁になった天民の隆文館版『東京の女』が、なぜ大正4年に同じ内容で磯部甲陽堂から刊行できるのか。ああ、「古本屋」(笑)のわしにはここまでしか解けなかった。「元図書館員」の誰ぞなら、坪内氏の疑問を完全に解き明かすことはできるであろうか。