大正8年7月22日付時事新報9面の「むせんでんわ」に「堺さんの原稿値上」として、
例の社会主義者堺利彦氏、葉書を各方面に出して曰く、「近来諸物価暴騰生活困難に付き、小生従来の稿料を五割方値上げ仕るの止むなきに立ち至り候間、悪からず御承知置下され度候、尚倍旧の御愛顧願ひ候」として◇肩書に著作業、著作家組合員堺利彦◇それから小生の稿料に但し書きして、原稿二百字一枚五十銭以上一円以下、代作物凡そ右の二倍−−。
とある。黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)253頁によると、売文社当初の営業案内には、「日本文一枚(二十字二十行)金五拾銭」が標準とあるという。この料金は、その後「廿字詰十行一枚金五拾銭」が標準に値上げされ、時事新報記載の堺の原稿料の原稿料の最低価格と合致する。同紙によると更にそれを5割値上げするという。この年の堺は山川均、高畠素次と三人の合名会社だった売文社を3月に解散して、5月に新社会社を設立した時期である。それにしても、代作物は通常の倍額というのはどういう料金体系だろう。
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