神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「誤訳家」三浦関造にクロポトキン自叙伝翻訳の先を越された大杉栄

大杉栄クロポトキンの自叙伝の翻訳を『革命家の思出』として刊行しているが、三浦関造の方が先に翻訳している。

三浦の翻訳については、大正4年9月21日付読売新聞の「豆えん筆」によると、

タゴールの誤訳家として知られた三浦関造君、新にクラポトキンの名著「革命家の記録」を漢字仮名交り文にして新潮社、洛陽堂、東亜堂などを持ち廻つたが、何しろ原書が原書なので書肆は「当局の保証があるなら出版しませう」といふ、関造君早速売文社に堺利彦君を訪ねて「どんなものでせう」と訊いたが遉(さす)が八面玲瓏の堺君も関造君の相談に閉口して、「サア」とばかりに帰したが、その時堺君が「クラポトキンの病気もその後どうなつたか」といふと、関造君愕いた顔をして「え?クラポトキンといふ人は未だ生てゐるのですか!」と今更のやうに訊いたとは物凄し

この記事によると三浦と堺は売文社で会ったことがあることになる。なお、「誤訳家」には圏点が振られているので、「翻訳家」の誤植ではない。堺にも体よく断られた「誤訳家」三浦の翻訳は、結局大正7年2月に文昭堂から『革命の巷より』として刊行。大正9年5月に『革命家の思出 クロポトキン自叙伝』(春陽堂)を刊行する大杉は、三浦に先を越された事が腹立たしかったようで、「クロポトキン総序」(『改造』大正9年5月〜7月号*1)で

僕がこの自叙伝の翻訳をしたいと思ったのはずいぶん旧いことだ。(略)それが五、六年前にようやくある本屋と話がついて、内務省へお伺いを立てて見たが、どうしてもお許しが出ず、ついそのままになっているうちに、一昨々年の暮れに例の有名な誤訳家三浦関造君にさきをこされてしまった。僕はさっそく内務省へ出かけて、その不信を責めて、僕の翻訳の出版許可を迫った。内務省では「あんまり無茶苦茶な翻訳なので、あんなものなら出さしても差支えあるまい」とのことで許したのだそうだが、「どうもあなたにあれをうまく翻訳された日にゃ」なぞとうまいことを言ってなかなか許してくれなかった。が、とうとうお許しが出た。

読売新聞と同じように、大杉も三浦を「誤訳家」扱いしている。よほど、先を越されたことが悔しかったのだろう。読売や大杉に「誤訳家」されてもめげなかった三浦だが、5月9日に紹介したように大正10年に「断訳宣言」をすることになる。

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書物ブログも毎日更新しているのは、古本ライターとか暇な古本屋ぐらいになってきた。

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*1:引用は、『大杉栄全集第4巻』による。