神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

図書館

柳田國男に群がる図書館人(その2)

再び、「ジュンク堂書店日記」から引用させてもらおう。 多少好評(?)だった柳田國男の『炭焼日記』に見るズショカンインの話の第二弾。 1 大西伍一(後の府中市立図書館長) (昭和20年) 3月 9日 大西伍一君来、「村のすがた」一そろひを托し、片山…

柳田國男に群がる図書館人(その1)

お許しを得て、閉鎖中の「ジュンク堂書店日記」さんから孫引き。 柳田國男の『炭焼日記』にズショカンの関係者が何人か登場する。 1 中田邦造日比谷図書館長 昭和20年 7月15日 中田邦造君来、文庫疎開の話をして行く。信州高遠がよからうといふ話などを…

『中外』の内藤民治と民衆図書館

黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』は、黒岩版日本文壇史といった感もあって、今面白く読んでいる真っ最中である。さて、同書は、大正6年内藤民治が創刊した『中外』について、売文社が手伝っていたと言及している。この…

日経文化面に「変わる国会図書館」の記事

今日の日経朝刊を誰ぞは見たかすら。長尾眞館長就任後、書籍の電子化を主導するなど従来の慎重な姿勢から変わった国会図書館の動きについて紹介してるだす。来年10月には各部に所属していた電子部門担当の職員を統合して約70人規模の電子情報部を新設、また…

米子図書館史と水木しげるの大叔父住田寅次郎

水木しげる氏の大叔父(水木氏の父方の祖母の弟*1)には東京帝国大学出身者もいる。水木氏の父武良亮一の母の弟である住田寅次郎である。ウィキぺディアの「水木しげる」の項からの孫引きとは情けないが、引用させてもらうと、 元米子市長野坂寛治の著書『米…

戦前既に国立国会図書館の設計図が書かれていた

昭和14年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業した生田勉の卒業設計は国立中央図書館だったと、7月21日に書いた。しかし、『立原道造と生田勉』(立原道造記念館、1998年3月)に、卒業設計として「国立国会図書館 透視図」の写真があがっている。戦前、帝国議…

図書カウンターの職員は、雑誌カウンターの職員より偉いのか?

「書物蔵」に、図書館の職員は雑誌カウンターよりも図書カウンターの職員になっていい格好したがるというようなことが書いてあったと思う*1。確かに私も週刊誌なんかは読んだら捨ててしまうが、文庫本や単行本は捨てられない。その意味では、雑誌よりも雑誌…

巨大組織国会図書館に幻滅した長尾真国会図書館長

ミネルヴァ書房シリーズ自伝の長尾真『情報を読む力、学問する心』で、長尾館長が嘆いとる。 情報処理技術に携わって来た私から見ると、たとえばある種のシステムの改良は博士課程の学生であれば、三カ月程度でできると思われるものも、図書館では外部発注を…

君は、通神保町にあった私立中央図書館を知っとるか?

『文部省年報』第53(大正14年度)の「公私立図書館別一覧 大正十四年度」の東京の欄に、 中央図書館(私立) 東京市神田区通神保町 というのがあがっている。和漢書2,881冊、洋書338冊、開館日数は307、閲覧人員は29,215。この一覧は網羅的なものではなく、…

帝国図書館に土足で入館できるようになった年

上野の帝国図書館がいつから土足で入館できるようになったかについて書かれた文献をどこかで見たような気もするが、それとは別に生田勉の日記でも判明する。 昭和7年3月12日(土) 朝七時起床。上野図書館に着いたら例の長い行列をなしていたが、少し早すぎ…

日本主義者の読書倶楽部

大倉常吉編『日本人の大使命 非常時打開の鍵』(豊橋日本主義研究読書倶楽部、昭和12年)という本がある。編者の大倉は、後の昭和14年に豊橋市出身の影山正治が創立する大東塾の塾外同人で、42年8月28日77歳で亡くなっていることは、判明している。多分図書…

もし書物蔵の畏友オタどんが戦後の堀内庸村を調べてみたら

高校野球の女子マネージャーがドラッカー『マネジメント』を読んだりするらしいが、ちと難しそうなので、わしは畏友書物蔵氏の堀内庸村に関する論考*1を読んでみた。この論考によると、堀内は、1930年代に青年日本社を創設、昭和16年青年文化振興会と改称。…

日米図書館懇話会と中田邦造

タイトルからは想像できないが、金沢文圃閣の『戦後初期の出版社と文化人一覧第1巻』で、戦後初期の文化団体が判明する。同書で復刻された『戦後文化人名簿第三輯』(文化研究会、昭和21年6月)がそれだが、その中に日米図書館懇話会が出てくる。 日米図書…

女でしくじったもう一人の早稲田大学図書館員

毛利宮彦という早稲田大学図書館の職員が図書館を追われたことについては、畏友の書物蔵氏が、書いてくれている*1が、女でしくじった早稲田大学図書館員がもう一人いた。戦前、早稲田大学図書館主事で、日本図書館協会の評議員兼理事を務めた小林堅三という…

国会図書館にもない本が多い訳

帝国図書館時代の書籍の納本率がどのくらいだったかは知らないが、見たい本に限って所蔵していないのを不満に思ったことがある人も多いだろう。『読書之友』2巻4号(大正2年4月)所収の「納本せし書物の始末」で、内務省図書課員がこんなことを語っていた。 …

戦時下の金尾文淵堂

金尾文淵堂の金尾種次郎については、石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』に詳しい。しかし、戦時中の動向についてはあまり記述がないので、補足しておこう。金尾文淵堂は、戦時中の企業整備により、大蔵出版(株)、朝日書房、甲子社書房、厚徳書院、光融…

成田図書館嘱託木村荘太

『成田図書館八十年誌』によると、 木村荘太 (昭和一五・九−昭和二一・六*1) 明治二二年二月三日東京市芝区三田四国町に生れる。(略) 今沢館長の招請により昭和一二年一二月より同一三年二月まで「成田山史」編纂委員に加わり、同一五年より当館に勤務し…

坊主になってた元日本大学図書館副館長秋庭太郎

秋庭太郎『考証永井荷風』がいよいよ来月14日岩波現代文庫から中村良衛氏の解説で刊行。これに関連して、川本三郎氏が、菅野昭正世田谷文学館長との対談で、 (略)今度も秋庭太郎さんの荷風伝も出るし。秋庭さんという方も面白い方でニューギニアで奇跡的に…

『新・日本文壇史』に索引は付くのか

品川力はある対談で『日本文壇史』の索引について、次のように語っている。 著者の人柄をよく知っている親愛感から、広告が出るとソレとばかり買ってくるものに瀬沼茂樹『明治[ママ]文壇史』があります。編集者の保立和子女史には時々会っていますが、24巻の…

満鉄図書館員と内山若枝

川上初枝は若林不比等と結婚して、若林初枝となる。のち、若林と離婚又は死別して、日高輝忠と再婚。日高初枝となったはずだが、三村三郎によると日高みほと名乗っていたようである。このほか、小田秀人の戦後の回想によると、初枝は内山若枝と名乗っていた…

間宮不二雄と高嶋辰彦の国防研究室

わしの大東亜トンデモ学と誰ぞの大東亜図書館学。両者をつなぐ接点に間宮不二雄なる人がいた。 前田哲人編『間宮不二雄の印象』所収の高島辰彦「間宮さんの思出」によると、 間宮さんとの交友は昭和十三年、四年頃、私が参謀本部の課長で総力国防研究のため…

大正期の通信図書館

『現代仏教』創刊号(大正13年5月)に「通信図書館を御利用下さいませ」という広告が載っている。甲子社書房図書館係(東京市麻布区笄町一二六)が営むもので、実態としては郵送専門の貸本屋のようだ。毎月15日に発行する図書目録(五銭)記載の本(仏教書の…

大陸講談社の『ますらを』と満洲雑誌社の『満洲良男』

西原和海氏の論考「関東軍の慰問雑誌『満洲良男』と『ますらを』」『彷書月刊』平成20年8月号によると、昭和13年3月頃関東軍司令部により慰問雑誌『満洲良男』創刊。昭和15年5月頃大陸講談社から『ますらを』と改題して刊行。更に、『満洲良男』と旧誌名に復…

檀一雄と藤山一雄・山崎末治郎

檀一雄は、昭和15年12月召集解除となるが、再召集をおそれ渡満。翌年10月の帰国まで満洲各地を歴遊。檀の『青春放浪』によれば、満洲で知り合った知識人として、藤山博物館長、山崎図書館長、杉村満日文化協会理事、武藤弘報処長らをあげている。杉村は杉村…

鹿児島県立図書館長奥田啓市

奥田啓市。明治16年福岡県生まれ、41年早大英文学科卒。大正4年日比谷図書館から長崎図書館へ転進、同10年2月から昭和19年4月まで鹿児島県立図書館長。確認できないが、戦後再び日比谷図書館に勤めたという。奥田が長崎図書館の司書だったときの話が、大谷利…

長崎県立長崎図書館を訪問したあの人

長崎県立長崎図書館で、「収蔵品展 県立長崎図書館を訪れた文人たち 〜大正期の芳名録を中心に〜」」が開催中。より詳しくは『県立長崎図書館50年史』の「芳名録抄」にある。幾人かを拾ってみると、 大正8年5月8日 柳田國男 10年8月22日 折口信夫 15年1月12…

ニコライ堂の図書館

天皇も観覧したという世田谷美術館の「内井昭蔵の思想と建築」展も今日まで。同美術館を設計した内井の祖父河村伊蔵は正教会の設計もした聖職者であった。ニコライの日記によると、 明治30年4月29日 副輔祭のモイセイ河村に図書館の管理も仕事に加えてくれる…

東大附属図書館司書増田七郎は増田義一の養子だった

古川緑波、本名郁郎。明治36年8月13日、元貴族院議員で、医学博士の加藤照麿の六男として生まれる。加藤家は、長男以外は他家へ養子へ出す方針だったため、満鉄役員の古川家の養子となる。郁郎の弟七郎も、増田家の養子となり、のち東大附属図書館司書となる…

満鉄鞍山図書館長佐竹英治=鈴木英治

鎌倉保育園の創立者佐竹音次郎の日誌に満鉄図書館に勤務していた佐竹英治なる人が出てきた。 大正8年12月3日 夜、大塚素氏(*)に面会し、英治の就職十三日頃満鉄図書館に決する由。*原注:同志社卒、巣鴨事件で教誨師をやめ満鉄理事勤務。 英治は佐竹英治…

図書館屋石崎又造流転

日比谷図書館の管理掛長秋岡梧郎の日誌によりますと、 昭和20年8月3日 住本主事補 帝大図書館(石崎氏ノ件) 8月4日 住本主事補 帝大石崎[又造]氏の件 8月22日 ○人事ニツキ住本君ニ連絡 (略) 2.石崎又蔵(ママ)氏へ至急再連絡ノコト 9月10日 ○石崎氏採用…