神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

鹿児島県立図書館長奥田啓市

奥田啓市。明治16年福岡県生まれ、41年早大英文学科卒。大正4年日比谷図書館から長崎図書館へ転進、同10年2月から昭和19年4月まで鹿児島県立図書館長。確認できないが、戦後再び日比谷図書館に勤めたという。奥田が長崎図書館の司書だったときの話が、大谷利彦『長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯』に出てくる。同書によると、『毎日新聞』昭和28年3月1日の島内八郎「長崎での茂吉」が、

(略)私は県立図書館在勤中、司書の奥田啓市の処に三日にあげず雑談に来始めた憂鬱そうな表情の男が舌を時折ぺロリと出すのを見て、妙な男もあるもんだと思ったのだが、それが[斎藤]茂吉氏*1だと知らされたのはずっと後日だった。(略)茂吉氏は県立図書館の司書の前記奥田氏を中心とする文化人の一団、永見徳太郎、水谷安嗣、大庭耀、谷田定男、林源吉氏等諸氏とわい談会的なものをこしらえていたらしく当時美人で有名な四海楼陳玉姫さんも引入たようだ。ある時こんな事があった。ある夜私が諏訪公園の茶屋で開かれた青年達の歌会に出席するため公園の坂を登っていると、素的な美人が追って来て会はどこでしょうと聞く。私は図書館の館長室で茂吉氏等がその夜会を開くことになっているのを思い出し、図書館の館長室でしょうと教えてその美人と別れた。すると一時間ほどもしてその美人が歌会場に来て、自分はあの会ではなくこの会でしたという。よく聞いてみると図書館の絵が例のわい談会で、当夜は各自のラブレターを披露する臨時特別会が開かれていた処に突然美人が舞込んだので、よき新入会員御座んなれとばかり招じ入れたんだから美人は何のことやら判らぬも道理で、一時間近くもおのろけを傾聴した揚句やっと事情を話して引揚げたのだという。

と書いているという。

館長室でラブレターを披露する会というのは、誰ぞが好きそうな話である。

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ダン・ブラウン『ロスト・シンボル』発行にあわせて、フリーメイソン関連本も置く店が出てきた。ブラウン本を読んで、フリーメイソン本を読もうと人がそんなに出てくるのかしら。

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今週の読売の書評は黒岩さんお休みと思ったら、見る順番を間違えた。ないどころではなく、長文の書評が。明日の昼には、「本よみうり堂」で読めると思われる。

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不思議な夢を見た。落語を聞きに行ったら、私の少し前に佐伯先生、その真後ろに猫猫先生が座っている。佐伯先生が振り返って、猫猫先生に「ワタナベ先生も来てる〜」と言うと、猫猫先生が「よし、カメラで撮ってやろう」と、カメラ(本体と附属品が長いコードでつながっている異様な機械だった)をかかえてダッシュ。佐伯先生の顔をじっくり見ると、なぜか昔の栗本薫の顔であった。なんともよくわからない夢だが、両人が仲良くしていて、めでたし、めでたし(?)

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『群像』4月号に内堀弘「古本の時間」。『彷書月刊』の話など。

*1:斎藤茂吉は、大正6年12月〜10年2月長崎医学専門学校教授であった。