神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

もし書物蔵の畏友オタどんが戦後の堀内庸村を調べてみたら

高校野球の女子マネージャーがドラッカー『マネジメント』を読んだりするらしいが、ちと難しそうなので、わしは畏友書物蔵氏の堀内庸村に関する論考*1を読んでみた。

この論考によると、堀内は、1930年代に青年日本社を創設、昭和16年青年文化振興会と改称。昭和21年1月に同会を再開したという。

青年文化振興会はよく知られた団体であったようで、昭和23年度版『文藝年鑑』(同年9月)の「中央文化団体」に、日米図書館懇話会などと共に、「青年文化振興会・千代田区丸ノ内ビル七〇四号「堀内庸村」」とあがっている。また、同年鑑の「文化人名簿」には、

堀内庸村(評論家) 杉並区東田町一ノ二二 長谷川武雄方、本名健一
明治三三年七月十三日兵庫生、早稲田實業学校卒、青年文化振興会主幹、「日本の反省」「青年文化運動の構想」

とあり、以後毎年の年鑑に登場する。青年文化振興会主幹の肩書きが消えるのは、昭和29年度版(同年7月)からである。ただし、書物蔵氏によると、同会は25年ごろ活動を停止したようだとされる。根拠は示されていないが、確からしそうである。

石井敦『簡約日本図書館先賢事典』でも没年不詳とされた堀内だが、書物蔵氏によって、おそらく遺族に確認されたと思われるが、37年2月10日没と明らかにされた。ただ、これは公刊資料によっても確認できる。堀内の最後の著作は36年刊行のようなので、39年3月刊行*2の『人事興信録下巻』巻末の「哀悼録」を見ると、確かに書物蔵氏の記述通りである。なお、38年版『文藝年鑑』(同年7月)の「文芸名簿」(同年1月調)に堀内の名前が挙がってしまっている*3ので、同年鑑もあまり当てにはならないようである。

以上公刊資料で探ってみたが、やはり書物蔵氏のように遺族と接触しないとわからないことは多いようである。なお、氏の論考のメインは、堀内の戦前の文化運動家としての側面を探ったものである、念のため。

(参考)庄司徳太郎氏(筆名・庄司太郎)の『私家版・日配史』に昭和22年10月10日のこととして、堀内が出てくることについては、2008年10月13日参照。『電力国家管理問題の根本意義』が反響社著ではなく、堀内著だと教示したのは、同年7月5日参照。

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世田谷文学館の次回企画展は、「みんなのサザエさん」展。長谷川町子の母の旧姓がわかるかしら。

*1:「戦時読書運動の決定的瞬間:堀内庸村と国民読書」『文献継承』第13go(2008年12月)

*2:36年11月刊行分には分かち書き研究所長として記載あり。

*3:39年版(同年6月)の「文芸名簿」(同年2月調)から消えた。