わしの大東亜トンデモ学と誰ぞの大東亜図書館学。両者をつなぐ接点に間宮不二雄なる人がいた。
前田哲人編『間宮不二雄の印象』所収の高島辰彦「間宮さんの思出」によると、
間宮さんとの交友は昭和十三年、四年頃、私が参謀本部の課長で総力国防研究のため研究分室の室長を兼ねていた時に始まりました。(略)私は新しい私の任務のための師としての達人を捜し求めて居りましたとき、偶然間宮さんの御来訪を受け、図書館学のキーポイントについてすばらしい御創見を承はり百年の知己を得た思いが致しました。(略)いろいろの視野から幾種類もの文庫図書索引を作っておくことで、数多い参考書の自分の研究に必要なキーポイントだけを至極短時間にさぐり出して速読するに便利となることなど、皆間宮さんに教えられました。私の主宰する研究室は小規模ながら、この方式を実行し、少数の研究員で可なりの能率をあげることができました。
国防研究室には小島威彦、仲小路彰、藤澤親雄らが出入りしていたはずである。そこに間宮も出入りしていたとは。
大東亜トンデモ学と大東亜図書館学は、間宮によって融合し大東亜ト学となった。
参考:昨年6月25日
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『ちくま』4月号から坪内祐三「探訪記者松崎天民・第三部」開始。初回は、「中断していた八年の間に」。『犯罪哀話』(佐藤出版部、大正5年)を出版されていないのではないかと思っていたが、刊行されていたようだとしているが、そもそも国会図書館が所蔵しているではないか。