天皇も観覧したという世田谷美術館の「内井昭蔵の思想と建築」展も今日まで。同美術館を設計した内井の祖父河村伊蔵は正教会の設計もした聖職者であった。ニコライの日記によると、
明治30年4月29日 副輔祭のモイセイ河村に図書館の管理も仕事に加えてくれるよう頼んだ。モイセイは日本人のなかでも珍しいぐらい几帳面で、いつも祭服聖器物保管室を申し分のない状態にしてくれている。新しい仕事とは次のような内容だ。静かな晴れの日に図書館の窓を開ける。(略)ときどき書棚を空にする。すくなくとも一週間に一度、窓や机や書棚などいっさいのものから埃を払う。すくなくとも一年に一度、一冊も残さず、すべての本に雑巾をかける。(略)それから、仕事中、書棚に並んだ本の順序を乱してはならない。一冊の本も誤りなく元の場所にもどすこと等々。
「図書館」といっても、ニコライ堂内の図書室というところだろう。
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ちょっくら、マラソンに行ってくるか。
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読売連載中に楽しんだ「新日本語の現場」が『読売新聞の日本語探検』として、3月8日ベスト新書で出るようだ。