神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

米子図書館史と水木しげるの大叔父住田寅次郎

水木しげる氏の大叔父(水木氏の父方の祖母の弟*1)には東京帝国大学出身者もいる。水木氏の父武良亮一の母の弟である住田寅次郎である。ウィキぺディアの「水木しげる」の項からの孫引きとは情けないが、引用させてもらうと、

米子市長野坂寛治の著書『米子界隈』183頁によると、
「第四代町長住田善平氏は住田呉服店の御主人で、その令息・法学士住田寅二(ママ)郎氏は町会議員として、いかなる意味でも英名を四方にはせ、晩年は酒豪としての逸話が山積する。後には転じて製パンを志され、世上これを“学士パン”と呼んだ。学士学士と書いたが、現代の諸君は“アァ学士か”とそこらに落ちている小石のように思うであろうが、明治35、6年ごろの学士さんはトテモドエライもので、住田寅二(ママ)郎氏が法科を、筆者の叔父貴野坂康二が工科を、共に東大を卒えて帰還した年の夏、渡辺町長その他お歴々の発起によって公会堂で歓迎会を開いて頂いている。それが米子で二人も出たのだからというのですゾ。驚き桃の木サンショの木である。」という。

東大を出て古本屋になった人は少なくとも4名いる(2007年8月26日参照)が、パン屋になった人は何人いるだろうか。なお、『東京帝国大学一覧 従明治四十四年/至明治四十五年』によれば、住田寅次郎は、明治35年7月東京帝国大学法科大学政治学科卒である。この人は、実は米子における図書館史にも、ちょっこし関係した人である。『新修米子市史第三巻』によると、大正4年5月10日付山陰日日新聞が、「図書館は至難か」という見出しで、米子町の図書館建設運動について、米子の図書館運動は、すでに明治四五年、全国特産品博覧会開催の折に住田寅次郎ら西伯郡教育会の有志によって始められ、設立委員会を結成して募金活動を開始したが都合により中止となったと書いているという。松井須磨子とも共演したことがある俳優でパリで客死した洋画家住田良三といい、水木氏の祖母の住田家も面白い一族である。

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10月刊行予定の注目本
林哲夫編著/生田誠ほか著『書影でたどる関西の出版100 明治・大正・昭和の珍本稀書』(創元社、10月初旬)←下旬かも
黒岩比佐子パンとペン 社会主義者堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、10月7日)
小谷野敦現代文学論争』(筑摩選書、10月15日)

*1:本当に弟かは未確認。