神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

全集が出るべくして出なかった二人の巨人ーー柳田國男と斎藤昌三ーー

斎藤昌三三田村鳶魚がどれくらい親しかったかは不明だが、三田村の日記*1には数回出てくる。たとえば、

(大正十二年)
二月九日(金)
崇文堂、斎藤某氏と挈へ来る。(略)
六月八日(金)
崇文堂、八重を一九会へ。◯斎藤昌三氏。
(大正十三年)
一月二十九日(火)
(略)◯北野博美、斎藤昌三氏。(略)◯北野等は岡崎の講演へ出席を求む、都合よき時にてよろしといふ、聞置くだけにて確答せず。

「崇文堂」(発行者斎藤熊三郎)は斎藤の『近代文藝筆禍史』(大正13年1月)を刊行した出版社である。
そして、次の記述が最も面白い。

(昭和二十四年)
四月十二日(火)晴
(略)◯今朝の新聞広告にて、尾佐竹氏全集十五巻の二巻目出たるを知る、斎藤昌三が全集の出づべくして出ぬ二人は柳田氏とおのれとなりと云ひしよし首肯せらる、あれ程に著名なる柳田氏の方、甚だ怪しむべし。(略)

実業之日本社から全集が出た尾佐竹猛は昭和21年10月没。「柳田氏」は柳田國男だろう。「全集」だから本来は当時健在だった柳田も斎藤も出なくてもおかしくはないのだろうが、生前でも全集が出ちゃう日本の慣行の中では、斎藤は自身の全集が出ないことに不満だったようだ。それにしても柳田と自分の二人を互角に並べる斎藤も斎藤である。単純に言うと非エロの柳田とエロの斎藤という二人の巨人。共に結局生前に全集は出ず、柳田は生前に『定本柳田國男集』が刊行され、全集は現在刊行中*2。斎藤の方は、没後著作集が刊行されたが、全集は未だ刊行されていない。

*1:三田村鳶魚全集』26巻、27巻(中央公論社

*2:ちくま文庫から一応全集が出ているのを忘れていた。