神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

金児農夫雄の素人社と『現代文藝』

西村陽吉等『第一短詩集』(素人社、大正15年3月)にある金児農夫雄の「小伝」によると、

金児農夫雄
明治27年3月北海道余市町
札幌中学在学中、家産傾き自活の道を得んとして師範学校に転ず
出てて塩谷小学校を振出しに、小樽稲穂女子、同堺等の小学校を転々す
その後軍隊に入り、東京砲兵工科学校を卒業後、満洲海城にあり、たまたま過激派討伐の応急準備下り、シベリヤに出動し、九死に一生を得て帰る。
除隊後上京、新潮社に入社。
大正12年同社を退き、自ら出版業を営み今日に至る。
杜鵑花と号し俳句も作る。
現住、東京本郷丸山福山町二三

更に曾根博義先生によると、
大正9年春新潮社入社、12年7月退社
大正12年8月素人社創立
大正13年5月『現代文藝』創刊(昭和6年10月『文藝サロン』と改題、昭和8年廃刊)
大正9年8月『ひこばえ(蘖)』創刊
大正11年6月西村陽吉主宰新短歌雑誌『尺土』と『蘖』の合同により、自由律雑誌『我等の詩』を創刊(〜同年11月)。
大正14年4月三浦十八公と『現代俳句』を創刊(〜15年8月)
昭和6年2月『俳句月刊』を創刊(〜9年7月)
昭和9年3月『俳句世界』を創刊(〜13年4月)
昭和13年2月21日没

昭和2年3月5日付読売新聞の広告によると、『現代文藝』同月号には、「久米正雄剽窃事件の真相」が掲載された。これは、小谷野敦久米正雄伝』361頁によると、安藤盛らが出席した座談会だが、安藤以外の出席者が不明だという。私も同号は未見だが、同誌の創刊号の広告(大正13年5月2日付読売新聞)に、生田春月、藤森淳三、堀木克三が出席した「文藝集談会」が掲載されており*1昭和2年3月号の座談会にも、この三名のうちの何人かが出席したのではないかと推測している。
なお、今泉康弘「素人社と「俳句月刊」のこと」によると、「素人社」は「そじんしゃ」と読むという。

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希望は絶望のど真ん中に (岩波新書)

希望は絶望のど真ん中に (岩波新書)

*1:その他、増田政子「女学生の見た久米正雄」も載っている。