千代田図書館で開催中の企画展示「検閲官ーー戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔」を観て、併せて講演も聴いてきました。講演は、村山龍氏(慶應義塾大学非常勤講師)による検閲官佐伯慎一(筆名・郁郎)に関するものと安野一之氏(NPO法人インテリジェンス研究所事務局長)による検閲官内山鋳之吉に関するもので、どちらも刺激的で有意義なものでした。昭和13年の「児童読物改善ニ関スル指示要綱」をまとめた佐伯については私も「児童読物改善ニ関スル指示要綱」で名前だけ言及して経歴は未調査でしたが、本講演により詩人としての経歴も含めよく分かりました。内山についても劇団員としての経歴も含め検閲官としての横顔がよくうかがえるものでした。なお、後者には上森子鉄も出てきて誰ぞがビックラチョでした。
さて、内山の略年譜によると昭和16年1月に情報局情報官となり、また、日本出版文化協会文化委員に就任している。そういえば、内山という情報官は田村敬男『荊冠80年』(あすなろ、昭和62年7月)に出てきてたなと思い出した。田村が日本出版会の企業整備委員に任命されるに当たり、内閣情報局に「田村は無政府共産主義者である」など田村の悪口が書かれた投書が26通も届いたという。当時の京都の出版社が25社なのに26通も投書が来たので田村は失意のどん底に突き落とされた思いになり、自分を人選からはずすよう要請した。ここで内山情報官が出てくる。
しかし担当の内山情報官は、「当方は独自の調査で、あなたを適任者として任命する事にしました。どうか気を落とさずに、京都における日本の出版のために働いて下さい。参考のために一通の投書をお渡しします。気を悪くなさらず頑張って下さい」と述べられて一通の投書をもらって帰った。帰りの満員の車中、痛む足をさすりながら僕は男泣きに泣いた。
その後、企業整備は、
(一)まず無理をしないこと。(二)気の合った者同志の結合体とすること。(三)出版方針がほぼ似通っていること。(四)資産評価を正しく納得出来るものとすること。(五)まず委員自らが襟を正し無私公平であること。
を信条として、出版文化協会関西支部職員*1と協力して一応の整備を完了した。
昭和17年7月1日現在の『職員録』(内閣印刷局)では情報局の内山は内山鋳之吉だけで、18年7月1日現在の『職員録』でも情報局の内山は内山鋳之吉*2だけなので、ここでの内山情報官は内山鋳之吉と思われる。検閲官としての内山についての研究は進みつつあるが、情報官としての内山、特に戦時下の企業整備との関係についても研究が進展してほしいものである。
なお、企業整備による京都の出版社の統廃合については、「『二級河川』16号の「戦時の企業整備により誕生した出版社一覧(附.被統合出版社名索引)が超便利」と「昭和18年における出版社の自主的統合」を参照されたい。