神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版史料としての『柏木義円日記』

明治31年11月『上毛教界月報』を創刊し、しばしば発禁処分をくらった柏木義円。そのため飯沼二郎・片野真佐子編『柏木義円日記』(行路社、1998年3月)は、出版史研究にも参考になると思われるので、日記から幾つか拾ってみる。
まず、口絵に大正期に発出された前橋地方裁判所検事正による「新聞記事掲載差止命令書」の写真がある。なぜか、年月日の記載はない。
記事差止命令に関する記載は多数あるので、極一部を。

(大正十三年)六月十日(略)田端松次ニ対スル不敬事件記載差止命令来ル。
九月十日(略)近頃爆発事件ノ記事差止頻々トシテ至ル、今日モ。
十月二日(略)巡査来リ茨城県立工業学校ノ奉安所ヨリ御真影教育勅語ヲ取リ出シ投捨タル記事差止ノ命令ヲモタラス。

次は、誰ぞに教えてもらった「納本」印のことか。

(大正十五年)九月十八日(略)警察カラ来テ呉レト云フノデ行ク、警保局ヘノ納本ニハスタンプヲ捺スヤウニテ其雛形ヲ渡ス。

昭和6年9月に初めて月報の発禁処分を受け、その後も11年12月の廃刊まで、しばしば発禁となる。なお、4月21日に関する記述が同月20日の条に記載されているが、原文のままである。

(昭和七年)四月二十日(略)夜中、巡査来リ月報発禁トテ八十八部押収シテ去ル、八千代気ヲ利カセテ五十部残ス、予モ上野尻中村さん其他四五部残ス、二十六部手ニ在リタリ。(略)廿一日(略)特高刑事来ル巡査来ル、再度発禁トナリテハ警察迷惑ノ旨話サル、気ノ毒ナリシ、予ハ戦争ヲ止メシメザル可ラズト語ル。
四月二十三日 昨日投函セシ牛山氏宛月報二部、局ヨリ警察ヘ差出シ、ケイサツニ呼バレ始末書ヲ取ラル、予ノ不覚ナリキ。
四月二十五日 警察へ月報四十八部出ス。
四月二十七日(略)警察ヨリ召喚、田中氏、湯浅氏、昨日ノ署長ヲ訪フテ予ノ為ニ尽シテ下サレ、検事モ不起訴ニ決シタリト。

発禁になると、郵便局に通知が行き、局で発禁の出版物とわかると、警察へ差し出していたようだ。

柏木義円日記

柏木義円日記