神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

アナーキスト林政雄につぶされた聚芳閣

『日本アナキズム運動人名事典』には、林政雄について、

林政雄 はやし・まさお 1901(明治34)−? 東京市本所区(現・墨田区)に生まれる。雑誌『壊人』の同人、評論「芸術の本質と階級芸術」を執筆。23年5月『赤と黒』4輯から同人となる。(略)24年10月南天堂書房から発売された『ダムダム』の編集人となり、巻頭言で「新しき時代と新しき芸術の先頭に立つ」と宣言したが、その後行方不明となり第2号は発行されなかった。

と書かれている。行方不明となった林だが、聚芳閣に出入りしていたようで、浅見淵『昭和文壇側面史』に、

さて聚芳閣が崩壊するキッカケとなったのは、ここに出入りしていた林政雄というアナーキスティックな評論を書いていた人物が、無断で倉庫から在庫本をおびただしく持ち出していたことが判明したからである。これは警察沙汰になったが、洗ってみると、店員の中にも白鼠がいた。ばかりでなく、生活に困窮した親戚関係がたくさん寄生していて、会計や営業にはいっていた。この報酬もたいへんな額だったらしい。そこへ、第一次世界大戦後の世界共通の経済界の不況が、漸く深刻さを増して来ていた。これらがすべて崩壊の原因になったのではなかったかと思う。

とある。「警察沙汰」とあるが、昭和3年4月14日付東京朝日新聞は、「創作の材料仕込みに/実地に働いた大賊/小田原で捕まつた林政雄は/文士間にも知られた青年」の見出しで、数日前甲府署に捕縛された小田原地方荒らしの林政雄(28)について次のように書いている。

同人はかつてアナキストの同人雑誌『ダムダム』の同人であつたことがあり、短篇小説や詩などを発表した文士仲間でも橋爪健、今東光氏等に面識があり、一時新宿の聚芳閣にも出入してゐたことがあるらしく所持品中に『犯罪心理』『指紋法』『法医学』等の原稿があるところからみると悪魔主義的な性格をもち自ら悪事を働きその経験を小説に織込まうとしたものらしい
今東光氏は語る
林といふ男とは二三度会つた事があります、何時だか聚芳閣で窃盗を働いたとかいふことで同閣の足立君も当人をよく知つてゐるはずです。(略)

悪魔主義的な性格」と決め付けられたアナーキスト林、その後はどのように生きただろうか。

(参考)前田貞昭「『文学界』(聚芳閣)細目稿」(http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/452/1/AN103087570120001.pdf)によると、林は、聚芳閣発行の『文学界』創刊号(大正13年10月)から15年1月号まで寄稿している。
追記:林は、『婦人公論昭和9年6月号に「地上の母及び母となるべき人々へ(盗みを働いた少壮評論家の告白)」を書いており、数え34歳まで生存が確認できる。また、『激流の魚・壺井繁治自伝』に林について、

彼は「ダム・ダム」創刊号に表現派風の戯曲を発表したのでもわかるように、ある程度文学的才能を持っていた男だが、小柄で美しい妻君のために、街の化粧品店から香水を失敬してくるような盗癖があり、その彼に雑誌の金を扱わせたことは、猫に鰹節を与えたようなもので、わたしたちのうかつさであった。後に彼は窃盗事件で逮捕され、「婦人公論」に懺悔録を発表したのを読んだ記憶があるが、その後の消息はわからない。

とある。