神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

聚芳閣の編輯者松本清太郎についても調べただす!

小谷野敦氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」の「久米正雄伝補遺」に出てくる『現代文藝』昭和2年3月号所収の座談会「文壇近頃のこと(二)久米正雄剽窃事件批判」の出席者四人(安藤盛・松本清太郎・鳴海四郎・金兒農夫雄)のうち、鳴海の経歴については、「素人社鳴海四郎こと林田茂雄」(8月26日)でアップした。今回、松本について、判明した経歴を紹介しておこう。

松本が「ヂヤーナリズムより見たる明治時代の小説」を執筆した『綜合ヂヤーナリズム講座』第十二巻(内外社、昭和6年11月)の「講師略傳」によると、

松本清太郎 明治廿七年三月京都祇園に生る。中学卒業の他に何の学歴もなし、大正十四年頃出版書肆聚芳閣の創立に加はり爾来三年同閣の壊滅まで進退を倶にせり。
著書に小説集「松本清太郎集」「祇園島原」の二種あり、青年時代より藤村氏花袋氏に私淑して夥しく小説を作りたれど、自己の作品が当代に売れざるを覚つて筆を断つ。
現内外社員
現住所東京市戸塚町諏訪二丁目二四三

内外社の社員である松本について同社の出版物が書いているのだから、この略歴は本人が書いたか、本人に確認して書かれたと思われるのだが、聚芳閣の創立は大正13年3月が正しい。また、「三年同閣の壊滅まで進退を倶にせり」とある部分にも疑問がある。『文藝年鑑1925年版』(大正14年3月)の「文士録」には「商家の長男として家業を継げるも三十才にて潰し、弟に委せて浪人、現在は聚芳閣社員」と、『文藝年鑑1926年版』(大正15年2月)の「文士録」には「商家の長男に生れ商業に失敗し、その後二年間出版書肆員たりしが十月限浪人す」とある。聚芳閣は昭和2年まで出版を行っている*1ので、「三年」という部分だけでなく、「壊滅まで進退を倶にせり」という記述も疑わしいことになる。

松本は聚芳閣では『文学界』の編集をしたが、同僚の井伏鱒二をなぐったことがあったようだ。井伏の「たま虫を見る」『文学界』大正15年1月号によると、

(旧古書林校正係)
自分のこの肩書きを私は自慢にしてゐたわけではなかつたのだが、勤めてから幾らもたゝない時、編輯員の松本清太郎は私の頭をなぐつた。私が生意気で校正が下手だといふのだ。私は自分が喧嘩に弱いと信じてゐたので、彼に対して反抗しなかつた。

聚芳閣を辞めた後の松本は、昭和2年5月号から素人社の『現代文藝』の編輯をしている*2が、数ヶ月で辞めている*3。内外社では、『綜合プロレタリア藝術講座』第四巻(昭和6年10月)、第五巻(同年11月)の編輯兼発行者も務めているが、その後の消息は不明。没年は猫猫先生に任せただす。

(参考)グーグルブックスで『徳田秋聲全集』第43巻所収の大正13年5月25日付松本宛書簡が見られる。

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朝日の田中貴子さんによる書評は、喜国雅彦『本棚探偵の生還』。「本の外見だけに対する書評」とのことだが、本書にはナンダロウ氏が出てくる。2005年台北国際ブックフェア特別展「東アジアの新しい本・美しい本」に喜国氏の本が出品されることになり、日本の事務局の人に連絡をとると、それがナンダロウ氏で、

ワクワクしながらほくそ笑んでいると、ファックスが届いた。
台北古書店地図と<ぼくの書サイ徘徊録 台北紙魚たち>という記事。その署名には南陀楼綾繁とある。あ、知ってる。確かにこの方とは何かの本で、二、三度一緒に載ったことがある。名前が怪しいから、怪しい人物かと思っていたのだが、こんなに社会的な仕事をする人だったとは思わなかった。

という。いや、名前通りちょっこしあやす〜ぃかもしれない(笑)。それはともかく、「ぼくの書サイ徘徊録」は『彷書月刊』に連載されたもので、書籍化が期待されるが、どこか名乗りをあげないかしら。

なお、喜国氏は、「あとがき」の「夢」(『彷書月刊』平成19年1月号)への解説の中で、「尊敬する画家、宇野亜喜良さんと竹中英太郎画伯についての対談をさせていただいたこともあります。たったの二回でしたが、参加できたことを光栄に思います」と書いていた。

(参考)「ナンダロウアヤシゲな日々

本棚探偵の生還

本棚探偵の生還

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古本者に好意的な京都新聞だが、さすがに新潟日報で連載中の「古書探索血眼日記」のような企画はまだやったことはないだろう。たまたま知ったのだが、福田博氏(新潟市出身の編集企画会社経営)による連載で、第34回(5月26日)*4は、なんとまあ「関根喜太郎の出版人生」。5年ほど前古本展で関根の『紙−−資源愛護読本』(成史書院、昭和14年)を3500円で、特装本もその後2000円で入手したという。関根について、

それにしても、宮沢賢治からアナーキー大政翼賛会的出版まで幅広く、謎の多い関根喜太郎の出版人生。これからも探索していきたいと思います。

と書いておられる。わしや書物蔵氏の関根に関する研究は読んでくれたかしら。
(参考)「関根喜太郎(荒川畔村)と北原放二」(8月24日

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吉田和明『戦争と伝書鳩 1870‐1945』が出ていた。黒岩比佐子さんの『伝書鳩』も何度も言及されている。

戦争と伝書鳩 1870‐1945

戦争と伝書鳩 1870‐1945

*1:なお、NDL−OPACは同社の仮名垣魯文西洋道中膝栗毛』を昭和15年発行としているが、大正15年の誤りである。

*2:前田貞昭「『文学界』(聚芳閣)細目稿」(http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/452/1/AN103087570120001.pdf

*3:『文藝時報昭和2年8月25日号「文壇消息」に「現代文藝編輯を辞任、内藤辰雄氏が後任に当る」とある。

*4:ブログ「四行詩集日乗」あり→「http://blog.goo.ne.jp/rubaiyat_2009/e/91dbab44a07c0fc7b24dfe5644683b70