神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

マルクス書房の終焉

『短歌前衛』(プロレタリア歌人同盟の機関誌、昭和4年9月創刊)の発行を昭和5年3月号から引き受けた難波孝夫(難波英夫の弟)のマルクス書房*1だが、相次ぐ発禁処分で経営は危機に陥ったようである。発禁年表によると、単行本の発禁は同年3月に1冊、4月に1冊、5月に4冊。『短歌前衛』は、同年3月号、5月号、6月号、7月号、9月号が発禁で、同誌の後継誌である『プロレタリア短歌』終刊号(昭和7年4月)*2の「プロレタリア歌人同盟年譜」によると、

昭和5年10月 機関誌の連続的発禁のために発行所マルクス書房は経済的に破綻を来し遂に発行を中止するに至る。こゝに機関誌短歌前衛は一応廃刊に決し、十月号を終刊号として赤刷八頁のものを発行した。
    11月 大会の決議によつて機関誌は「プロレタリア短歌」と改題、十一月号から紅玉堂より発行。十一月号発禁。(略)/書記長林田茂雄は一身上の都合により書記長辞任。荒川繁三代つて書記長となる。

各種のOPACを見ると、マルクス書房の単行本の発行は昭和6年まで確認できる。昭和5年3月創刊の雑誌『農民闘争』(農民闘争発行所)もマルクス書房内に発行所があったようで、発禁年表ではマルクス書房発行となっている。1巻2号(昭和5年4月)が最初の発禁で、以降度々発禁となっている。昭和7年5月28日終刊号を発行するが、この号も「共産党支持の記事」を理由に同月31日発禁*3。以後マルクス書房からの刊行物は確認できないので、昭和7年に終焉を迎えたと思われる。マルクス書房は、『出版年鑑』昭和六年版(6年5月)の「発行所住所録」では「小石川区小日向台町一ノ五」、昭和七年版(7年5月)の「発行所名簿」では「麹町区有楽町日比谷五番館内」、昭和八年版(8年5月)以降記載がないことも、このことを裏付ける。

(参考)・「政界往来社時代の難波英夫」(7月8日
    ・「政界往来社の木舎幾三郎と難波英夫」(7月14日
    ・「素人社の林田茂雄が一役買ったプロレタリア歌人同盟の結成」(9月12日
    ・「柳瀬正夢マルクス書房の関わり」(9月23日

    難波英夫及びマルクス書房については、「雀隠れ日記」の
    ・「この頃の東京
    ・「マルクス書房
    ・「難波英夫の道草
    ・「ワシラノシンブン
    ・「『短歌前衛』の発禁
    ・「「無産者新聞」と難波英夫
    ・「林田茂雄 「難波英夫さんの歌」

*1:正確にいうと、発行所は小石川区小日向台町一ノ五一マルクス書房内短歌前衛発行所、編輯兼発行者は同住所の林田茂雄

*2:発行所は世田ケ谷町世田ケ谷一二八〇渡邊方 プロレタリア短歌発行所、編輯兼発行者兼印刷者は同住所の渡邊順三

*3:ただし、昭和7年発禁分の『農民闘争』については、発禁年表に発行所の記載はないので、マルクス書房の発行とは断定できない。