神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

美術印刷株式会社の皆川省三

股旅堂の目録から『皆川省三君を偲ぶ』(市川憲次、昭和17年10月)購入。非売品、276頁。皆川の略歴は、同書の年譜から要約すると、

明治23年3月24日 長野県飯田町皆川家の二男として生まれる
44年 日本新聞社に入社
45年 日本新聞社を辞し、松下伝吉の雑誌「ナショナル社」に入社
大正2年 池田藤四郎の「エフシエンシー協会」の事業を輔ける
3年9月 石山賢吉に招かれ「ダイヤモンド社」に入社
8年10月 名古屋日報社に入り経営の任に当たる
9年1月 名古屋日報社を辞す
10年 美術印刷株式会社専務取締役に就任
昭和5年6月 報知新聞社野間清治に招かれて同社に入社
7年 美術印刷株式会社社長に就任、報知新聞社広告部長に就任
10年 報知新聞社を辞し、「ダイヤモンド社」に復帰
15年10月4日 死去

本書で気になったことを記録しておくと、
・生家は十一屋文星堂という老舗の書肆
報知新聞社へは野間の社長秘書として行った。
・美術印刷株式会社の外郭機構として印刷美術研究会を創立
・本書に「思ひ出」を寄せた青柳有美とは名古屋日報で知り合った。
大正13年当時美術印刷社の仕事で一番多かったのは実業之日本社の『婦人世界』だったが、講談社の『少年倶楽部』4月増刊号20万部と『少女倶楽部』14万部を一度に引き受けることになった。
共同印刷の大争議の調停に関与し、徳永直『太陽のない街』に皆川らしい人が出てくる。