神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

「柴田宵曲翁日録抄」から見たロマンス社の変遷

「柴田宵曲翁日録抄」によると、 昭和22年7月22日 四時頃福山氏来、雑談。原稿紙と写すべき材料とを渡す。 10月1日 (蛇魂氏と)共に市政会館に赴き地下のロマンス社に福山氏を訪ひしも不在要領を得ず。 10月2日 午後ロマンス社に再び福山氏を訪ふ。在り、筆…

立花隆の伯父橘書店の橘篤郎

木村毅『私の文学回顧録』によると、評論家の立花隆は、橘書店の橘篤郎の甥に当たるという。この橘は、『昭和十年版全国書籍商総覧』によると、 受験と教育社、橘書店、陸海軍受験生社 橘篤郎 [住]日本橋区通二丁目四 明治38年2月8日 茨城県水戸市松本町二四…

小谷部全一郎『日本及日本国民之起原』が発行10年後に発禁処分になった理由

小谷野敦『久米正雄伝』491頁に「日ユ同祖論」が出てくる。昭和19年10月21日、いとう句会で日ユ(日本−ユダヤ)同祖論で盛り上がったが、久米だけがその本を知っていたという。この典拠は徳川夢声の日記で、 昭和19年10月19日 「日本及日本国民[之]起原」ト…

ぼんさん、ぼんさんと呼ばれた中央公論社出版部長篠原敏之(篠原梵)

一部で篠原敏之(篠原梵)が注目されておるようじゃ。そこで、篠原ネタ。高村光太郎の昭和19年2月12日付中央公論社内栗本和夫宛書簡に、 先日篠原さんが来られた時婦人公論がやめになるといふ事をきいて感慨なきを得ませんでした、貴下が編輯をしてゐた頃小…

松宮春一郎年譜

わしとか書物蔵氏が、無名の人物の年譜を作ってしまう情熱はどこから来るのであろうか。さて、世界文庫刊行会を主宰していた松宮春一郎については、何回か記事にしてきたが、その後判明した事項も含めて、年譜を作ってみた(著訳書は原則として省略)。 しか…

青年図書館員聯盟会員ぐろりあ・そさえての伊藤孝次

『青年図書館員聯盟会報』第4及5号、昭和3年9月の「新入会者名簿」に、「伊藤孝次 ぐろりあそさえて[神戸市前町18番]」とある。また、昭和5年11月の同聯盟会員名簿*1では、孝次の連絡先は「ぐろりあそさえて(京都市中京区河原町通三條南、蓬莱相互館)」に…

愛書家としての伊藤長蔵

ぐろりあ・そさえての創業者伊藤長蔵は、愛書家としても知られた存在であった。『書物関係雑誌細目集覧二』によると、伊藤が編輯兼発行人として、『書物の趣味』を昭和2年11月創刊、7年3月廃刊、全七冊。発行所は、京都市知恩院山内信重院の書物の趣味社、発…

ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵一族

ぐろりあ・そさえての創立者伊藤長蔵の一族について、多少判明した。兄の伊藤長次郎は、貴族院議員(多額納税者議員)なので人名事典に出ている。『昭和人名辞典』で復刻された『第十四版大衆人事録 東京篇』(昭和17年10月)などによると、 伊藤長次郎 [閲…

『出版書籍商人物事典第二巻』に生活社の鐵村大二

金沢文圃閣から8月に刊行された『出版書籍商人物事典』の第二巻に生活社の鐵村大二が出てきた*1。早大英文科(正しくは独文科)を出て興文社の編集部に入り、その後柳沼澤介に引かれて東京社に入ったとある。興文社に一時在籍したというのは新事実であるが、…

『キング』の時代に一撃を放つ岡本綺堂

佐藤卓己『『キング』の時代』によると、 本来、『キング』創刊は当初、一九二三年十二月発行の二四年新年号と予定されていた。だが『キング』誌名登録の六日後、一九二三年九月一日『キング』の用紙について紙問屋岡本商店の岡本正五郎と商談中に激震が走っ…

『日ポンチ』の編集者鶯亭金升

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード047は、『風俗画報臨時増刊 日ポン地』(東陽堂、明治37年10月20日)。この『風俗画報』の臨時増刊でポンチの特集号である『日ポンチ』*1の編集を、鶯亭金升が担当していたようだ。鶯亭の日記によると、 明治37年12…

明治期のグラフ誌の発行部数

黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』によると、明治期にグラフ誌は26誌創刊されている*1。その一回当たりの発行部数について調べてみると、 ・明治32年 風俗画報 3,509*2 (「保証金ヲ要スル定期刊行雑誌配布部数 明治三十二年中」『明治三十二年警視庁…

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その6)

松塚俊三・八鍬知広編『識字と読書 リテラシーの比較社会史』(昭和堂、2010年3月)所収の鈴木俊幸「明治前期における書籍情報と書籍流通−信州安曇郡清水家の書籍購入と兎屋誠−」によると、信州安曇野郡常盤村の清水家に残る文書群(長野県立歴史館所蔵)の…

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その5)

『古書の森 逍遙』において、書籍コード199は『女性』(新生社、昭和21年8月)。黒岩さんは、新生社の代表青山虎之助について、 青山は敗戦直後に新生社を設立し、同年一一月に『新生』を創刊している。『新生』はあっという間に売り切れて増刷となり、青山…

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その4)

水島幸子といっても、一部のSFファンしか知らないだろうが、今日泊亜蘭の母で、水島爾保布の妻である。『古書の森 逍遙』の書籍コード116『婦人世界』(実業之日本社、明治43年12月)の「新聞雑誌婦人記者花くらべ」で、水島は白百合にたとえられていると…

科学知識普及協会の枝元長夫

だんだん枝元枝風(本名・長夫)の専門家になってきた。そんなものになってどうするのという気もするが、またまた枝元情報を発見した。戦後、日本宇宙旅行協会の理事長となった原田三夫の自伝『思い出の七十年』に出てくる。 たまたま鎌倉から東京に通う仲間…

三角寛を激怒させた宮本幹也の『魔子恐るべし』

KAWADE道の手帖『サンカ 幻の漂泊民を探して』所収の田中英司「まぼろしのサンカ映画『魔子恐るべし』」によると、鈴木英夫監督の「魔子恐るべし」は昭和29年6月封切り。原作は、宮本幹也の同名の作品で、『東京タイムズ』に28年6月21日から29年7月20…

敗戦前後の戦線文庫

『戦線文庫』については、益友の書物蔵氏が「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070226」で話題にした後、解説*1付きで復刻版が出たりした。『戦線文庫』は、昭和13年9月戦線文庫編纂所から創刊され、20号前後から興亜日本社・戦線文庫編纂部が引き継ぎ…

戦時下の金尾文淵堂

金尾文淵堂の金尾種次郎については、石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』に詳しい。しかし、戦時中の動向についてはあまり記述がないので、補足しておこう。金尾文淵堂は、戦時中の企業整備により、大蔵出版(株)、朝日書房、甲子社書房、厚徳書院、光融…

中央公論社の雨宮庸蔵と六人社の戸田謙介

六人社の戸田謙介は、早稲田大学時代から雨宮庸蔵の友人だった関係で、雨宮の『偲ぶ草』に名前が出てくる。 だから本当に人を紹介しようとする場合、私は本人と同行するか、前以て相手にあって話しておくかを原則とする。例えば友人の戸田謙介の場合。谷崎潤…

生活社の前田広紀と六人社の戸田謙介

生活社の社長鉄村大二と編輯長をしていたという前田広紀、それに生活社に統合された六人社の社長戸田謙介が柳田國男の『炭焼日記』に出てくる。 大正19年1月9日 三国書房及戸田、生活社鉄村及前田来(略) 7月13日 るす中六人社より使来る。「国史と民俗学」…

昭和2年における雑誌の発行状況

未見だが、渡辺藤交(久吉)の日本心霊学会から『日本心霊』(大正8年1月1日創刊。旬刊)という雑誌が出ていたらしい。『昭和二年十一月末日現在新聞雑誌及通信社ニ関スル調』(内務省警保局)*1によると、8千部の発行。 その他の雑誌の一部をあげてみると、…

『婦人画報』記者列伝(その8)

生活社を創立した鉄村大二については、既に「daily-sumus」氏が言及している。鉄村が、『婦人画報』の記者であったか、確認できていない*1が、記者列伝の一人としてとりあげてみよう。まず、鉄村の経歴を『昭和人名辞典』(『第十四版大衆人事録 東京篇』(…

『婦人画報』記者列伝(その6)の補遺 

『婦人画報』記者の小佐井清平の没年が判明。「知人消息」『古人今人』(生方敏郎の個人雑誌)95号、昭和19年7月20日によると、 ●小佐井清平君逝く 小佐井君は日本新聞に創刊以来二十年一日の如く格勤されたのに、此二個月ばかり同紙にその名が見えぬから不…

波屋書房と宇崎純一

大正十三年の時点で、難波河原町にあった波屋書房については、宇崎純一(ウザキ,スミカズ)の弟祥二が実際の経営者で、その後祥二は昭和4年に亡くなったという。この波屋書房の開業時期*1及びその後の状況が、『現代出版業大鑑』(昭和10年8月)*2で判明した…

「ぐろりあ・そさえて」社員山田新之輔と竹内好

竹内好の日記に「ぐろりあ・そさえて」が出てきた。 昭和15年1月12日 保田紹介の「ぐろりあそさえて」の人、『支那現代文学史』を出版せぬかと云ってくる。出版したきは山々なれど、稿なく研究なきを如何せん。 1月18日 「ぐろりあそさえて」の山田氏訪ねて…

大陸講談社の『ますらを』と満洲雑誌社の『満洲良男』

西原和海氏の論考「関東軍の慰問雑誌『満洲良男』と『ますらを』」『彷書月刊』平成20年8月号によると、昭和13年3月頃関東軍司令部により慰問雑誌『満洲良男』創刊。昭和15年5月頃大陸講談社から『ますらを』と改題して刊行。更に、『満洲良男』と旧誌名に復…

明治41年における雑誌の発行部数

東京朝日新聞(明治41年8月26日〜28日)が雑誌の種類別に毎月の発行部数の一覧を掲載してくれていた。 「出版界の趨勢」と題したもので、家庭向の雑誌、青年少年門、実業雑誌、農工部門、政治法律門、教育学術界、宗教哲学界、文学美術雑誌、此他の雑…

昭和60年まで生きていた七丈書院の渡辺新=八木新

三島由紀夫の処女短編集『花ざかりの森』を刊行した七丈書院の経営者渡辺新(戦後は八木新)。富士正晴は、八木に戦後再会したことを書いている。「私の三十歳」で、 この年(昭和18年)にわたしは、弘文堂を社長と衝突してやめ、間もなく東京の石書房、同じ…

富士正晴が顧問をした石書房

富士正晴が七丈書院とともに顧問をしていた石書房については、「spin-edition」に、竹内勝太郎『詩論』(昭和18年3月)の発行者は「前高一 東京市四谷区新宿一ノ八小原ビル」とある。この石書房も戦時中に企業整備されており、『戦後雑誌発掘』によると、宋…