神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『筑摩書房の三十年』(和田芳恵)と『筑摩書房それからの四十年』(永江朗)

小谷野敦『現代文学論争』を刊行した筑摩選書から、3月16日に、『筑摩書房の三十年 1940-1970』(和田芳恵)の復刊と、『筑摩書房それからの四十年 1970-2010』(永江朗)の新刊が刊行されるという。昭和15年創業の筑摩書房の前史として、唐木順三とスメラ学…

竹内文献について語る入江種矩

小川平吉の日記に竹内文献と思われる記述があった。 昭和12年11月1日 夜入江氏来訪、晩餐を共にす。神代史、竹内文庫の談あり。 「入江氏」は、13年11月16日の条に「増田一悦、入江種矩氏等来訪」とある入江種矩と見てよいだろう。入江種矩は、大内義郷『神…

黒岩比佐子さんの次作(その2)

読売新聞の「よみうり堂から」によると、先日の読売文学賞贈賞式で、黒岩比佐子さんの実母が明らかにしたとして、パソコンに、ヘレン・ケラーをはじめ執筆予定の5人の名前が入力されていたという。某婦人記者を含めて、3作予定されていたことは、昨年11月21…

「古書の森日記」ゆかりのブログ

黒岩比佐子さんの「古書の森日記」ゆかりの二人が、ブログを始められました。御活躍を期待しております。 「雀隠れ日記」(http://d.hatena.ne.jp/yukunoki-a/) 「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/MY…

道頓堀にあった謎の古本屋「古本大学」(その2)

『新派名優喜多村緑郎日記』第1巻に続いて、第2巻にも「古本大学」が出てきた。 昭和9年1月25日 夜の部を了へてから、紅梅と、たけ子をつれて、雪岡、若井と「古本大学」へ茶をのみにゆく。前の時の方が装置がいゝとおもつた。大分いろいろと主人公が女達…

増田正雄と満川亀太郎

『満川亀太郎日記』には、多くの国家主義者が出てくるが、増田正雄もその一人である。 大正15年11月13日 増田正雄来訪昭和8年1月14日 午后五時より大阪ビルレーンボーグリルにて安部磯雄氏主催日ソ不侵略条約問題懇談会開催 森孝三、尾崎敬義、蝋山政道、太…

黒岩比佐子さんと「くうざん先生」と「神保町のオタどん」のセッション

昨日の放送(http://p-man.tv)*1の中で、春陽堂の円本全集に村井弦斎が収録されたという話があったと思うが、それをめぐって、黒岩比佐子さんと「くうざん先生」とわしとで、話題にしたことがある。江見水蔭の春陽堂編集局宛書簡に、「校正で見ますると、私…

やっぱり、あやすーぃ早稲田大学教授武田豊四郎

大正6年4月10日付読売新聞の「豆えん筆」によると、 一昨夜の八時頃本郷三丁目の停留場に異様な風体の男が小さい目をキヨロキヨロ光らしてゐた、頭には印度人の巻くやうなターバンを手際よく巻いて、肩には赤いモールのやうなものをかけ、手には房々した白毛…

武林無想庵と天羽英二

これは黒岩比佐子さんの生前から持っていたネタだが、あまり深みがないので、ほおっておいたもの。結局、黒岩さんに見てもらえる機会はできなかった。天羽英二の日記に、武林無想庵が出てくる。 昭和12年8月27日 来 水野錬太郎 武林無想庵 無想庵は、娘のイ…

『堺利彦獄中書簡を読む』に黒岩比佐子さんの遺稿「「「楽天囚人」から「売文社社長」へ」

初期研BBS(http://9027.teacup.com/kanriiinkai/bbs)によると、堺利彦獄中書簡を読む会編『堺利彦獄中書簡を読む』(菁柿堂、2011年1月)に、黒岩比佐子さんの遺稿*1「「「楽天囚人」から「売文社社長」へ」が収録されている。堺利彦獄中書簡を読む (Edi…

名取洋之助と外務省文化事業部第三課長市河彦太郎

名取洋之助と市河彦太郎とは、ちょっこしつながりがあったようだ。柴岡信一郎『報道写真と対外宣伝』(日本経済評論社、2007年1月)によると、 写真事業に理解があった市河彦太郎も外務省文化事業部第三課長就任(一九三七年七月)後、頻繁に出席しており、…

クラブシュメール(スメラクラブ)が軽井沢でサイクリング

「スメラ」ネタをあちこちで見かけるよき時代になってきました。昨年展覧会のあった坂倉準三展の図録を書籍にした『建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる 人間、都市、空間』の60頁には、「日本工芸文化連盟、スメラクラブ」との見出しの記事が載っている。 …

小田秀人と「ぐろりあ・そさえて」をつなぐ船川未乾

尾関岩二「船川未乾君の装幀」*1によると、 伊藤長蔵氏がぐろりや(ママ)そさえてを初(ママ)めた時に、船川君は伊藤熊三氏の紀行文を装幀した。そして小田秀人君の長詩「本能の聲」をもまたこゝから装幀して居る。 小田君の詩集は四六版背フラツト、紙装…

長岡良子(璽光尊)の名も『大川周明日記』に登場

いやはや、『大川周明日記』というのは意外な人物がこれほどまでに登場するとは。 昭和20年6月24日 元調査局に居りし勝木徳治郎君来訪。勝木君は長岡良子といふ神がかりの婦人を信奉し、予に宣伝に来たらしかりしが、強いて切り出し兼ねて退却す。紅卍字教と…

虹色の名取洋之助と大川周明

『大川周明日記』にこんな記述があった。 昭和20年2月3日 午後三品中佐及び山田璋君紹介の名取洋之助君来訪。真面目な人物。 三品中佐は、当時支那派遣軍参謀(報道部長)だった三品隆以だろう*1。三品は、『虹色のトロツキー』にも出ていたらしい。名取と大…

篁白陽のすめら連邦構想

中島岳志氏が『満川亀太郎日記』に驚いていた*1が、わしも同書の次の記述には、驚いた。 昭和11年1月25日 降雪にて終日家に在り、篁白陽君、秦学文君*2の紹介にて来訪 すめら連邦建設運動に就て談じること四時間に及ぶ まさか、「篁白陽」を一次資料で確認で…

東大の小権力者

田中英道「東大「小権力」の弊害」『日本と西洋の対話 一文化史家のたたかい』(講談社出版サービスセンター、平成22年10月)によると、 学界のために思っていうのだからあえて話すが、ある有名な東大教授は評論ばかりで一度として学術論文を書いたことがな…

渋沢史料館で「法学者・穂積陳重と妻・歌子の物語」展

渋沢史料館で「法学者・穂積陳重と妻・歌子の物語」展を3月5日から5月8日まで開催。 歌子の「日記」や、陳重と歌子婚礼の「料理次第心覚」なども展示されるようだ。歌子の日記も活用して、『『食道楽』の人 村井弦斎』を書いた黒岩比佐子さんも、見に行きた…

松宮春一郎年譜

わしとか書物蔵氏が、無名の人物の年譜を作ってしまう情熱はどこから来るのであろうか。さて、世界文庫刊行会を主宰していた松宮春一郎については、何回か記事にしてきたが、その後判明した事項も含めて、年譜を作ってみた(著訳書は原則として省略)。 しか…

3月1日、集英社みらい文庫創刊

集英社みらい文庫。こども向けだが、新訳赤毛のアンとかは、読みたいなあ。→「http://miraibunko.jp/」

青年図書館員聯盟会員ぐろりあ・そさえての伊藤孝次

『青年図書館員聯盟会報』第4及5号、昭和3年9月の「新入会者名簿」に、「伊藤孝次 ぐろりあそさえて[神戸市前町18番]」とある。また、昭和5年11月の同聯盟会員名簿*1では、孝次の連絡先は「ぐろりあそさえて(京都市中京区河原町通三條南、蓬莱相互館)」に…

柳田國男と満川亀太郎

『満川亀太郎日記』に従来の柳田國男年譜に記載のない柳田の動向が書かれている。 大正13年5月3日 今井良平、郷間正平君来訪す 郷間君に柳田国男氏を紹介す 10月15日 朝柳田国男氏を訪ひ(略) 14年6月27日 松岡均平、寺島成信、松木幹一郎、柳田国男、小松…

神保町のオタどんとは、わしじゃ

芥川賞候補作家となった小谷野敦氏が、「オタどん」とか「神保町のオタどん」と書くたびに、検索してこのブログや「書物蔵」にアクセスする人が若干名出てくるので、はてなのキーワードに登録しようかと思ったが、「キーワードはユーザーの皆さんで共有する…

満川亀太郎の興亜学塾の講師

満川亀太郎が昭和5年9月に創立した興亜学塾の職員名簿*1を見ると、講師として中谷武世(東洋民族運動史)、大竹博吉(露西亜事情)、ラス・ビハリ・ボース(印度事情)、野波静雄*2(東洋事情)、下中弥三郎(人生学)らがあがっている。この他、外国語講師…

岡部牧夫と桜沢如一訳『人間 この未知なるもの』

『みすず』の読書アンケートで故岡部牧夫の遺されたメモによるとして、A・カレル/桜井如一『人間 この未知なるもの』(岩波書店、一九三八)があがっていた。「桜井如一」は、正しくは「桜沢如一」だが、岡部がなぜそんな本を読んでいたのだろうか。なお、…

ナウカ社そばの田沢画房

大竹博吉が創立したナウカ。私は、昔のナウカにも今のナウカ・ジャパンにも一度も行ったことがない。さて、『大竹博吉 遺稿と追憶』(大竹会、1961年2月)に、高橋宣彦が「ハッピのおもいで」を昭和9年の話として書いているが、そこに田沢画房が出てくる。 …

読売新聞「読売文学賞の人びと」に黒岩比佐子さん

読売新聞「読売文学賞の人びと4」は、評論・伝記賞の黒岩比佐子さん。鵜飼哲夫氏による記事で、実弟の「受賞を、本人に聞かせてあげたかった」や、母親の「ありがたいことですが複雑。できれば娘に帰ってきてもらいたい」という声を紹介。「残り少ない日々…

阿部次郎と板垣鷹穂の関係

阿部次郎と板垣鷹穂は、どういう関係だったのかと思っていた*1ら、『阿部次郎をめぐる手紙』(翰林書房、2010年9月)*2の板垣直子(平山なを)の手紙の解説に書いてあった。 板垣直子は、日本の論壇で女性としてはじめて認められた文芸評論家である。(略) …

昔「三銭均一食道楽おとわ亭」、今「キッチンジロー」(その3)

PsychomPsychoさん(http://twitter.com/PsychomPsycho)が確認してくれた*1 おとわ亭の所在地だが、戦前の地図でも確認できた。『コレクション・モダン13』(ゆまに書房)で復刻された白木正光編『大東京うまいもの食べあるき記』(丸ノ内出版社、昭和8年4…

篠沢秀夫とスメラ学塾、なんちゃって

難病と闘っておられる篠沢秀夫氏とスメラ学塾とちょっこし関係があった、というのは嘘なのだが、スメラ学塾の小島威彦の長男と篠沢氏は、学習院で同級生だったようだ。丸山熊雄『一九三〇年代のパリと私』によると、 僕がパリへ帰ってきた時には、小島は日本…