神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

長岡良子(璽光尊)の名も『大川周明日記』に登場

いやはや、『大川周明日記』というのは意外な人物がこれほどまでに登場するとは。

昭和20年6月24日 元調査局に居りし勝木徳治郎君来訪。勝木君は長岡良子といふ神がかりの婦人を信奉し、予に宣伝に来たらしかりしが、強いて切り出し兼ねて退却す。紅卍字教と提携せよとの神示あり、呉世(清)源と相提へて近く渡満するとのこと。人心非常いろいろの信仰を説くもの、更に現るべし。

璽宇と呉が昭和17年に紅卍字会に働きかけたことは2009年10月29日に言及したが、再度試みようとしていたようだ。長岡は、呉の妻中原和子が長岡について、神から「あの女は世を救う神なり。称号はその意を体して璽光と名乗るべし」とのお告げを受けたため、この翌日の25日から璽光と名乗るようになったという*1。その前日の出来事が大川の日記に書かれていたことになる。

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*1:上之郷利昭『教祖誕生』。より詳しくは、『新宗教の世界Ⅳ』所収の梅原正紀「璽宇」(大蔵出版、昭和53年12月)。