大正6年4月10日付読売新聞の「豆えん筆」によると、
一昨夜の八時頃本郷三丁目の停留場に異様な風体の男が小さい目をキヨロキヨロ光らしてゐた、頭には印度人の巻くやうなターバンを手際よく巻いて、肩には赤いモールのやうなものをかけ、手には房々した白毛の払子を握つてゐた、通りすがりの者は、この日頃ぽかぽか温いので、また例の預言者位が浮かれたと見捨てゝ行つたか、それを誰とかする、早稲田大学教授武田豊四郎の君なりき、ハテ花見帰りとしてはチト道が異(ちが)ふやうだが−−
さすがオカルト教師*1の武田豊四郎。格好もあやしかったようだ。この武田、その後すっかり国家主義者に転向したようだ。『愛国運動闘士列伝』(新光閣、昭和11年6月)によると、
武田豊四郎 明治十五年十一月十六日生れで早大卒業後しばらく同大学で印度哲学を講義してゐたが大正九年三月九日舎身居士田中弘之氏を中心として石原寂堂、本多廣善、佐々木天山、吉田無染の諸氏等と「大乗会」を結成し、舎身居士が会長となり氏は副会長として之れを援けた。爾来、既成宗教家の腐敗堕落を指摘しそれらの邪教の一掃を期すると共に、聖徳太子の御理想である「大乗仏教」の確立を目指して国家主義思想運動に献身して来た。この外、現在北署吉氏の祖国会の講演部長を務め著書に「仏教女性観」其他がある。住所、東京市小石川区雑司ケ谷一一九
「ウィキぺディア」にはここまで書いてないなあ。
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『小説現代』3月号の坪内祐三「酒中日記」は、田村治芳さんの通夜・告別式の様子など。
1月27日に言及した文化学会々員の中の「西川松子」は、西川文子の誤植なのだろうが、トルストイの翻訳をした西川松子という人もいるようだ。どっちだろう。
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小谷野敦編『木魂 毛小棒大―里見とん短篇選集』(中公文庫)。確かに、データとか写真がまだ表示されない。

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*1:2010年8月21日参照。