神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

名取洋之助と外務省文化事業部第三課長市河彦太郎

名取洋之助市河彦太郎とは、ちょっこしつながりがあったようだ。柴岡信一郎『報道写真と対外宣伝』(日本経済評論社、2007年1月)によると、

写真事業に理解があった市河彦太郎も外務省文化事業部第三課長就任(一九三七年七月)後、頻繁に出席しており、上記の第五一回理事会にも出席している。
市河の経歴について述べると、一九二〇(大正九)年に東京帝国大学法科政治科を卒業し、外務省に入省した。一九三七(昭和一二)年、外務省文化事業部第三課長に就任、イラン特命全権公使を経て、一九四五(昭和二〇)年二月より国際文化振興会理事に就任している。対外宣伝における写真の効力に着目して活用していく市河は、自身も元々写真撮影の趣味があり、海外赴任中も撮影を楽しんでいた。結果的に写真配信が活発化するきっかけとなったこの第五一回理事会で、名取への委託について市河が何らかの便宜をはかったとみることができる。

国際文化振興会(KBS)第51回理事会は、昭和12年10月に開催され、今後のKBSフォトライブラリーの海外配信に関する業務を日本工房主名取洋之助に一任することが決議されている。名取とスメラ学塾の講師*1だった市河には、こんな関係があったのだ。

(参考)市河の詳しい経歴については、「書物蔵」参照。市河が文化学院西村伊作を救ったことについては、2009年1月16日参照。

*1:2006年4月23日参照。