満川亀太郎が昭和5年9月に創立した興亜学塾の職員名簿*1を見ると、講師として中谷武世(東洋民族運動史)、大竹博吉(露西亜事情)、ラス・ビハリ・ボース(印度事情)、野波静雄*2(東洋事情)、下中弥三郎(人生学)らがあがっている。この他、外国語講師として、笹目恒雄(蒙古語)、陳福安*3(安南語)の名前もある。なお、田代庸(自然科学)の名もあり、『満川亀太郎日記』の「主要登場人物録」*4で、おそらく昭和4年5月17日の条の「中野町科学雑誌社に田代氏を訪ふ」を根拠に田代順一を科学雑誌社勤務と推定している*5が、田代庸の肩書きに「科学雑誌主幹」とあるので、その推定は間違いと思われる。