神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

篠沢秀夫とスメラ学塾、なんちゃって

難病と闘っておられる篠沢秀夫氏とスメラ学塾とちょっこし関係があった、というのは嘘なのだが、スメラ学塾の小島威彦の長男と篠沢氏は、学習院で同級生だったようだ。丸山熊雄『一九三〇年代のパリと私』によると、

僕がパリへ帰ってきた時には、小島は日本へ電報打って奥さんを呼ぶところでした。やがて小島夫人が、来年小学校へあがるという男の子を連れてやって来て、小島一家が揃う。この男の子っていうのが、大きくなって学習院(大学)に入って、篠沢君(テレビのクイズ番組で、教授の名で親しまれる篠沢秀夫さん)と同期ですから、三回生か四回生ぐらいでしょう。卒業して東宝へ入って、相当いろんな仕事をしていたようです。今はフリーのプロデューサーのようですが。それが小学校にあがる前の年にパリに来ているんです。

この長男は、亢(こう)という。1996年9月30日付朝日新聞夕刊によると、元東宝演劇部プロデューサーで、同月27日63歳で亡くなっている。

(参考)2006年4月24日

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誰ぞが皇道図書館の並木軍平の年譜を作った→「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20110204