神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

竹内文献について語る入江種矩

小川平吉の日記に竹内文献と思われる記述があった。

昭和12年11月1日 夜入江氏来訪、晩餐を共にす。神代史、竹内文庫の談あり。

「入江氏」は、13年11月16日の条に「増田一悦、入江種矩氏等来訪」とある入江種矩と見てよいだろう。入江種矩は、大内義郷『神代秘史資料集成解題』によると、天津教の外郭団体と思われる昭和17年頃結成の皇道世界政治研究所の発起人の一人である*1大内氏もあげている昭和16年版の『人事興信録』によると、

入江種矩 陸軍大尉、大政翼賛会東京府常務委員兼理事、日本及日本人政教社主幹、国体擁護聯合会委員長
明治16年12月生。明治38年陸軍士官学校を卒業し、陸軍少尉。大正3年同大尉。5年予備役。同年満蒙に渡り、満蒙王国建設運動に参画し、勤王師扶国軍古巴札布将軍の参謀長として南北満洲蒙古地帯に行動。同9年露領に入り、運輸交通水田開墾事業等に従事し、同15年帰朝。大陸問題国体明徴運動等に努力。昭和13年政教社主幹。

「巴札布」は、正しくは「巴布札布」(パプチャップ)で、その次男が川島芳子と結婚している。小川の日記が書かれた時期は、第二次(第三次ともいう)天津教事件で、教主竹内巨麿らが昭和11年2月検挙され、12年6月竹内が起訴、予審に附され、8月予審終結、公判に附されることが決定されていた時期である。このような状況下で、竹内文献に関して話題にするとは、入江は、よほど関心を持っていたか。なお、小川については、「ウィキペディア」を参照されたい。

*1:他の発起人は、2007年4月13日参照。