神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男と満川亀太郎

満川亀太郎日記』に従来の柳田國男年譜に記載のない柳田の動向が書かれている。

大正13年5月3日 今井良平、郷間正平君来訪す
 郷間君に柳田国男氏を紹介す

    10月15日 朝柳田国男氏を訪ひ(略)

  14年6月27日 松岡均平、寺島成信、松木幹一郎、柳田国男、小松緑、永田稠、石丸祐正、長瀬鳳輔、大川周明井上準之助佐藤茂長、永井柳太郎、野村吉三郎、荒木貞夫、小村俊三郎、永田秀次郎、東郷実、松岡洋右

  15年3月7日 午后六時より帝国ホテルに於て行地社招待会
 松岡洋右、松村介石、江木千之、関屋貞三郎、永田秀次郎、丸山鶴吉、柳田国男、喜(ママ)鴻銘、上泉徳弥、石光真清荒木貞夫鶴見祐輔、杉本幹一郎、頭山満、堤清六、桝本卯平外四十名

   3年5月31日 柳田国男氏をキ[ママ]多村喜多見に訪ふ

    6月8日 国策研究会 六時
 (カフエーブラジル)
 永井、小林、信夫、柳田
 神田一つ橋 帝国教育会
 島中雄三

・「郷間正平」は不詳だが、昭和13年2月5日付東京朝日新聞に、スパイ容疑で逮捕されたシンガポール在住の東亜経済調査局員郷間正平が出てくる。
・柳田と行地社という組み合わせは、初耳ではないかしら。どういう関係があったのだろうか。
・「国策研究会」という研究会は、戦前幾つかあったが、昭和3年6月8日の条に出てくるのは、大正10年9月に戸水寛人、寺尾亨、添田寿一らの博士や貴族院衆議院議員らによって創立された国策研究会(大正末期まで存在が確認できる)かしら。なお、『満川亀太郎日記』の解題(クリストファー W.A.スピルマン)に、昭和3年10月に永井亨、野口援太郎、小村俊三郎、信夫淳平、下中弥三郎、満川を世話人として独立国策協会が設立されたとあるので、その関係の可能性もある。