神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

神保町三省堂前のお登和亭

俳人の水原秋櫻子は、一高入学を目指していた中央大学の予備校生時代を次のように回想している(『私の履歴書 文化人2』所収)。 神保町の三省堂の前の横丁に「お登和亭」というのがあった。そのころ評判の村井弦斎の小説「食道楽」の主人公のお登和さんと…

江見水蔭のサンカ小説

黒岩さんは、無事に海外で旅行を続けているかしら。 村井弦斎ネタは、ひとまず置いておいて、ライバル(?)の江見水蔭ネタをアップしてみよう。 追記:黒岩さんは、昨日、無事に帰国されています。よかった。 昭和女子大学近代文学研究室編『近代文学研究叢…

帝国図書館司書としての朝倉無声

朝倉無声 本名亀三。明治10年3月生、昭和2年4月没 早稲田大学で国文学を修めた後、帝国図書館司書となり、近世の文芸・風俗研究を専攻 『見世物研究』(ちくま学芸文庫)の著者「書物蔵」には出てこないので、館界では無名か(こういう判断基準に使うなって…

石田幹之助を好きで好きでたまらなかった長澤規矩也

学生時分から、石田幹之助のことが、「好きで好きでたまらなかつた。氏のやうにありたいと思つたことは度々であつた」という長澤規矩也の「石田幹之助氏を悼む」(『書誌学』24・25合併号、昭和49年7月)によれば、 大正五年、東京帝国大学文科大学史学科卒…

芥川龍之介に東洋史研究をあきらめさせた石田幹之助

後に東洋文庫主事となる石田幹之助と広津和郎は、麻布中学で同級であったが、広津による石田の回想に面白い記述があった。 『年月のあしおと』(『広津和郎全集』第12巻所収)によれば、 私と同期の卒業生に石田幹之助がいる。私は同級ではあったが、石田君…

帝国図書館100年目の逆襲

上野の国立国会図書館国際子ども図書館(3階ラウンジ、一部3階ホール)にて、9月26日から開催される「旧帝国図書館建築100周年記念展示会」。 期待しておるのだが、12月21日からは東京本館2階常設展示コーナーで開催ということは、しょぼそうな規模の展示…

スタール博士の不幸(その3)

日本を愛し、度々来日したスタール博士だが、その訪日回数の多さに疑惑の目を向けられたようである。 三田村鳶魚の日記(『三田村鳶魚日記』第25巻)大正6年12月3日の条には、 スタール帰国、米探の噂高くなりたる為めといふ。 とある。また、小島烏水「山の…

スタール博士の不幸(その2)

大正8年12月18日付け會津八一の今井安太郎(山形県米沢市)宛絵葉書(『會津八一全集』第八所収)によると、 拝啓 スタールが御地へ行きしことは、先日此問題にて淡嶋寒月翁と会見したる際、翁よりも聞き居り候。スタールは割合に著名なる男なれども、割合に…

大正モダニズム下のプラトン社と坪内逍遥

プラトン社が、大正11年4月から発行していた雑誌『女性』については、『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』に詳しいが、『女性』の執筆者であった坪内逍遥の日記中にプラトン社が登場するので、関心のある人のために紹介しておこう。 大正11年9…

図書大略奪と白鳥庫吉博士

6月19日の朝日新聞夕刊に、白鳥庫吉が寺内正毅朝鮮総督に頼んで『朝鮮王朝実録』を東大にもらったことに関する記事があったけど、白鳥の名前を他の図書略奪の関係でも見かけたので紹介しておこう。 津田左右吉の日記(『津田左右吉全集』第25巻)明治29年11…

酒井七馬餓死伝説の崩壊

一時期、出版社のPR誌にはまっていたが、最近はほとんど読まなくなっていた。しかし、たまたま拾った「ちくま」8月号には瞠目すべき記事がある。 中野晴行「酒井七馬の謎」がそれである。 酒井七馬は、あの手塚治虫の『新宝島』の原作・構成を担当した人。 …

修善寺温泉新井旅館を愛した文人達

黒岩さんには温泉にでもつかりながら、ゆっくり執筆していただきたいものであるが、そういうわけにもいかないようなので代わりに温泉ネタをアップしよう。 芥川龍之介が自殺する二年前の大正14年4月16日、病気療養中の修善寺温泉新井旅館から妻文に宛てて出…

スタール博士の不幸

「daily-sumus」の8月14日分で、引用していただいたので、再びお札博士スタールネタをアップ。過去の記事については、この画面の一番上のスペースでこのブログ内検索(「スタール」と入れて「日記」をクリック)ができますので、それをご利用ください。 三村…

書盗学者にして偽書作成者島田翰

「書物蔵」に出会うまでは、島田翰のシの字も知らなんだが、最近島田ネタが続々集まってしまったので、折々放出しよう。 「書誌学」(3巻3号、昭和10年3月)によると、昭和9年7月26日、安田善次郎邸で「偽書偽作座談会」が開催された。 ○表に無暗に書名を並…

『料理辞彙』と村井弦斎

江見水蔭の書簡の謎は、くうざん先生の手により、あっという間に解決されてしまったが、この謎は中々解けないと思われる。7月29日に書いたネタだが、重要な記述を見落としていたので、追加情報と併せて再掲しよう。 坪内逍遥の日記によると、 大正7年7月3日 …

『蘆花日記』で笑ふ

徳冨蘆花の日記は、基本的にはロリコン親父の妄想日記とも言うべきものであるが、作家や出版人、宗教家などが登場する真面目な部分は資料として使える。石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』や、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』は日記を活用した例で…

村井弦斎 対 江見水蔭

斎藤忠編著『書簡等からみた史学・考古学の先覚』(雄山閣、平成10年1月)に、江見水蔭の春陽堂編集局宛書簡が掲載されているが、それが大変謎に満ちている。 拝啓 校正で見ますると、私のが後で弦斎君の 先の様で、最初公表の予告とは違ふ 様ですが、ソレは…

村井弦斎と菊池武徳の「新世紀」

小林一郎『田山花袋研究−博文館時代(三)』によると、明治42年5月2日の読売新聞の「日曜説叢」に、 菊池武徳氏の「新世紀」は、初め「正報」とか「現代」とかする筈であつたが、後で今の名にした。処が「新世紀」の主幹菊池武徳氏は「新世紀」に掲げる小説な…

青空古本ヲタ大戦争

スムース連合軍(連合軍と言いながら、しばしば騙し討ちもあるらしい)、ナンダロウ軍(スムース連合軍とは別扱いにした)、書物奉行軍、晩鮭亭軍などが乱戦状態。はほへほ軍も乱入するとの噂もある。 日和見主義者の神保町のオタ軍は筒井順慶状態。 くうざ…

早稲田大学図書館を追われた毛利宮彦(その2)

毛利ネタについて、史料の追加をしておこう。太字は、『早稲田大学図書館史』からの引用。 大正4年7月 館員毛利宮彦が、図書館事業研究のため、ニューヨークのパブリック・ライブラリー付属ライブラリー・スクールに1ヵ年留学のため出発した。帰国は翌年7月…

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その11)

その他では村井弦斎の、その時分、といって僕のいくつの時かはっきり覚えていないが、その時分の報知新聞の付録としてついていたと思う「飛のり[ママ]太郎」「小猫」とかを、母と一緒に寝ながら聞いたことを覚えている。もう筋はすっかり忘れたが、障子にう…

東洋文庫と石田幹之助

石田幹之助が東洋文庫を追われた理由については、「日本古書通信」に推測する記事が載っているらしいが、未見。「東方学」49集(昭和51年1月)中の「石田幹之助博士の訃」で榎一雄が、言及しているので紹介しておこう。 そうした石田博士が東洋文庫を退かね…

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その10)

志賀直哉が、歌舞伎座で「桜の御所」を鑑賞していたのとほぼ同じ頃、当時25歳の読売新聞の記者も鑑賞していた。彼は「歌舞伎座評 下」(読売新聞明治37年4月8日)で 櫻の御所は村井弦斎氏前半生の歴史小説中最も婦女子に愛読されたものださうだが、筋ばかり…

岩波書店『「帝国」日本の学知』シリーズ(その2)

大橋図書館の元司書にして、柳田國男の高弟たる大藤時彦の経歴については、『現代人名事典』(平凡社)に、「大橋図書館、国際文化振興会、CIE」とあり、国際文化振興会では石田幹之助の創設に係る図書室と関係があるのか、CIE(GHQの民間情報教育局)図書館…

岩波書店『「帝国」日本の学知』シリーズ(その1)

これぞ岩波の真骨頂と言うべき『「帝国」日本の学知』。毎巻瞠目すべき論文が目白押しである。 第3巻『東洋学の磁場』中、「第1章 日本的「東洋学」の形成と構図」(中見立夫)に興味深い記述があった。 ついで一九〇〇年、義和団事件がおこり、翌年、北京…