プラトン社が、大正11年4月から発行していた雑誌『女性』については、『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』に詳しいが、『女性』の執筆者であった坪内逍遥の日記中にプラトン社が登場するので、関心のある人のために紹介しておこう。
大正11年10月3日 大阪の「女性」のためニ「大国ぬし」のCycle浄書了
大正11年10月9日 プラトン社の根本某来 「因幡うさぎ」と「大国ぬし」の稿を交付す、「女性」十二年一月号*2の為也
大正11年10月10日 プラトン社より報酬一月分200送付し来る
大正12年6月28日 プラトン社根本茂太郎(京橋区鍛冶橋際)
『女性』の現物を見たことはないが、「大国ぬし」とか「道灌」って、大正モダニズムとはちょっと違う感じだね。
ちなみに、『女性』の展示はないと思うけど、新橋(汐留)の「アド・ミュージアム東京」で「大正モダニズムと広告展」が開催されている。新橋に行ったら、併せて旧新橋停車場(鉄道歴史展示室)の「夜行列車」展も見ておこう。いずれも、無料。
有料だが、松下電工汐留ミュージアムでは「富本憲吉のデザイン空間」展を開催中。