神保町系オタオタ日記

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村井弦斎と菊池武徳の「新世紀」


小林一郎田山花袋研究−博文館時代(三)』によると、明治42年5月2日の読売新聞の「日曜説叢」に、


菊池武徳氏の「新世紀」は、初め「正報」とか「現代」とかする筈であつたが、後で今の名にした。処が「新世紀」の主幹菊池武徳氏は「新世紀」に掲げる小説なども自然派の人の作になると一々通読して批評したり、盛んに罵倒する。殊に田山花袋氏、正宗白鳥氏等の作になると、盛んに罵倒するさうだ。で、以後「新世紀」に掲載する小説は村井弦斎か、冒険小説に限る。


とあるそうだ。
菊池武徳という人は、宮武外骨・西田長寿『明治新聞雑誌関係者略伝』によると、


慶応3年8月生、昭和21年2月没。明治20年慶応義塾卒。「時事新報」(明治23年11月在社)記者となり、明治25年「朝野新聞」に移る。再び「時事新報」に入り明治28年に及ぶ。雑誌「演芸画報」社長。明治36年から大正4年まで、第10回を除き衆議院議員


「新世紀」という雑誌(又は新聞)は謎だが、弦斎のどの小説が掲載されたのだろうか。