神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

芥川龍之介に東洋史研究をあきらめさせた石田幹之助


後に東洋文庫主事となる石田幹之助広津和郎は、麻布中学で同級であったが、広津による石田の回想に面白い記述があった。
『年月のあしおと』(『広津和郎全集』第12巻所収)によれば、

私と同期の卒業生に石田幹之助がいる。私は同級ではあったが、石田君と同じ組になったことは一度もなかった。(略)
芥川龍之介が一高時代、石田君と同級だったとかで、昔私にこんなことを云ったことがあった。
「僕も東洋史をやろうかと思ったんだけれどね、石田のような男がいるので止めたよ。帝大が銀時計の石田を学校に残さなかったのは、石田の東洋史が、帝大の東洋史と違うからだよ。学生時代から石田の研究は独特で、帝大派の東洋史とは対立していたんだ」


芥川をして、東洋史研究をあきらめさせた男、石田幹之助にして東大に残れなかった理由については、もっと面白い理由を長澤規矩也が記しているので、次回紹介しよう。