黒岩さんには温泉にでもつかりながら、ゆっくり執筆していただきたいものであるが、そういうわけにもいかないようなので代わりに温泉ネタをアップしよう。
芥川龍之介が自殺する二年前の大正14年4月16日、病気療養中の修善寺温泉新井旅館から妻文に宛てて出した書簡によれば、久米正雄、里見紝、吉井勇、中戸川吉二、泉鏡花等「皆ここへ原稿を書きに来てゐるので女中は心得たものだ」と書いている。
この新井旅館の「ホームページ」を見ると、他にも多くの文人・歌人達に愛されたようである。
ここには挙がっていないが、徳冨蘆花も滞在していたことがある。
彼の自伝小説『冨士第4巻』(昭和3年2月、『蘆花全集第18巻』所収)によると、明治37年2月に滞在している。
同書から引用すると、
修善寺に着いて、一番奥の新井に往つた。(略)主人は昨秋物故した紅葉山人が此処のあやめの湯に浴したり、俳人K君が居たり、また「食道楽」の著者が此処に永い間居て、自身ぐつぐつ豆を煮たりして料理を研究した事などを話した。
とある。村井弦斎も長期滞在したことがあるのだ。しかも、時期は不明であるが、記述から言うと、新井旅館で『食道楽』を執筆していた可能性もあるみたい。