神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

図書大略奪と白鳥庫吉博士


6月19日の朝日新聞夕刊に、白鳥庫吉寺内正毅朝鮮総督に頼んで『朝鮮王朝実録』を東大にもらったことに関する記事があったけど、白鳥の名前を他の図書略奪の関係でも見かけたので紹介しておこう。


津田左右吉の日記(『津田左右吉全集』第25巻)明治29年11月1日の条に、


八時ごろ白鳥氏を訪ふ、(略)東洋史編纂の件につきても同意を表せられたり、又た朝鮮史に関する意見をも聞きぬ、
「国朝宝鑑」なる書を見る、現王系の国史にして勅撰になれるものなり、此の書は王室の府庫にありしものを、昨年王妃の変に邦人某の横取りせしものならんといふ、帰りて後、致曲に聞くところによれば、成川府に古き文庫ありしが征清役の際殆ど邦人の為に蹂躙せられ、珍書古籍の散佚破壊せしもの多かりきとぞ、惜しむべき至りなりけり


当時、白鳥は学習院教授、津田は群馬県尋常中学校教員。「王妃の変」とは、閔妃暗殺のこと。借りただけかもしれないが、『国朝宝鑑』が白鳥の手元にあるのは不思議だね。この『国朝宝鑑』は今、どこかに残っているのであろうか。
追記:「貧房」氏に、学習院にあると教示されました。返還(贈呈)の話が出るほど、珍しい書ではないか・・・
学習院ということは、この本の「横取り」には、元学習院長(明治23年8月白鳥が学習院教授に就任した時の院長)でもある三浦梧楼(閔妃暗殺当時は朝鮮駐在特命全権公使。事件の首謀者とされる)が関与しているということだろうか。

追記:現在、学習院で所蔵する『国朝宝鑑』は1909年の「序」のある書のようなので(「書籍データベース」による)、津田が見たものとは別物のようである。



津田が、「惜しむ」というのは、朝鮮のために惜しんだわけではなかろう。津田は、『朝鮮王朝実録』(『李朝実録』)が東大に寄贈されたことを白鳥の功績としてたたえている。「白鳥博士小伝」(『東洋学報』第29巻第3・4号、昭和19年1月、津田左右吉全集第24巻所収)に、


[大正]二年に、時の朝鮮総督寺内正毅に説き、総督府をして「李朝実録」一部を同大学に寄贈せしめられたのも、また博士の尽力の致すところであつた。


とある。


(参考)東京美術学校長の正木直彦の朝鮮出張時における日記(大正14年8月15日)には、


晴 朝経書閣に赴く 李朝時代秘書を蒐蔵する所なり 歴代国王の実記は*謄本なり 日記諸儀軌貴重のものなり(略)

*虫へんに葛という字