神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

トンデモ

本間久雄とムー大陸

『本間久雄日記』(松柏社)の解説(平田耀子)によると、 昭和三十三年早稲田大学定年一年後、本間は実践女子大学教授となる。(略) (略)英文科教授にはその他山田惣七、坪内章(略)がおり、本間とも親しかった英文学、比較文学の島田謹二(一九〇一−一九…

堀一郎と偽史運動(その4)

助手のウェルス女史から日本にキリスト渡来伝説があることを聞いたチャーチワードが、その話を自著の何年の版から導入したのか、原書を確認する必要がある*1が、戦前チャーチワードの原書でその記述を見た人がいる。 久保木朝之助『イエスキリスト日本におけ…

 チャーチワードの女助手フローレンス・ウェルス救出作戦(その2)

天羽英二に接触したのは、天羽が辞めたとは言え、昭和16年10月まで外務次官だった関係と思われる。 天羽と接触したもう一人の人物永井柳太郎も衆議院議員だが、別の肩書きは大政翼賛会興亜局長。昭和16年興亜局の前身東亜局において永井局長の下、直属の庶務…

チャーチワードの女助手フローレンス・ウェルス救出作戦(その1)

チャップリンの秘書が日本人だったというのも面白い話だが、ムー大陸を提唱した、というか捏造した人というべきか、チャーチワードというトンデモない人がいるが、その女助手が戦前日本に送り込まれていたというのも驚くべき話だ。 これについては、既に藤野…

大阪の奇人岡田播陽

辻潤の周辺にいた奇人。『癡人の独語』(書物展望社、昭和10年8月、『辻潤全集』3巻)所収の「おうこんとれいる」によると、 知人にも坊さんがいる。高光大船氏などはそのひとりであるが、毎月送ってもらう「直道」という氏の個人雑誌は私の愛読するところで…

書痴仲間に衝撃走る!島田翰の自殺

三田村鳶魚の日記*1によると、 大正4年8月11日 林若樹氏ニ至ル、島田釣一ガ獄中ニテ縊死シタル由ヲ承ル。 死んだとされる島田釣一は、当時一高教授(昭和3年に東京文理科大学教授)。実際に亡くなるのは昭和12年。 大正4年に死んだ(正しくは7月にピストル自…

日本における「ムー大陸」受容史

藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸“ムー大陸”の伝播と日本的受容」*1によると、日本で最初にチャーチワードの「ムー大陸」が紹介されたのは、昭和7年8月。三好武二により『サンデー毎日』の同年8月特大号と10月2日号で紹介されたという。同論考には漏れている…

戦時下のトンデモ狩り

戦前のオカルトバスター小谷野敦、じゃなかった、トンデモバスター島田春雄。 例によって、小島威彦、藤澤親雄に対して厳しく攻撃している。 『東亜文化圏』昭和18年7月号所収の「文化時評」(志村陸城、島田春雄、藤村又彦、窪田雅章による座談会)によると…

昭和最大の怪物矢次一夫と清水精一

戦前、大蔵公望らと共に国策研究会*1を創設した矢次一夫(やつぎかずお。1899-1983)。大宅壮一は矢次を「昭和最大の怪物」と呼んだという。 その矢次が、サンカ文献『大地に生きる』の著者清水精一に出会っていた。『現代史を創る人びと(4)』(毎日新聞社、…

地名こそ神代文字なり!

東亜研究所が柳田國男の『炭焼日記』に出てくる。 昭和19年11月5日 鏡味完二君来。東亜研究所に在り、印度のことを担当すといふ。地名の研究をするといひ、その話をきゝに也、茶一袋くれる。 鏡味は戦後も地名の研究を続けている。『日本の地名』(角川新書…

川端康成と神智学

川端康成の年譜を見ていたら、大正8年(20歳)の欄に、今東光の父武平から心霊学(神智学)への興味をうえつけられた、とあった。川端先生もオカルトしてたんだね。 追記:NHKで「団塊世代の教員の大量退職」→「教員の争奪戦」の話をやっていた。「司書の大…

戦時下の燕京大学の謎(その2)

戦時下の燕京大学については、3月3日に言及したところ。 『大蔵公望日記』にも戦時下の燕京大学の様子が出てきた。 昭和17年6月8日 二時、伊沢、光武、其他の人々で共に北京郊外の燕京大学を視察す。総坪数三十万坪、規模広大、建物も立派な支那式にて、日本…

高見順と玄洋社々員横山雄偉

大西比呂志「ドン・ブラウンと横山雄偉」(『図説ドン・ブラウンと昭和の日本』)には、横山雄偉について 横山は帝国ホテルに個人事務所を構え、旧知の広田などを通じて外務省やドイツ大使館から情報を入手したほか、陸軍の憲兵隊や特務機関とも密接な関係を…

玄洋社々員横山雄偉

斎藤茂吉の日記*1に 大正14年12月8日 夜ニナツテ政木氏ガ横山雄偉ト云フ人ヲツレテ来テ有利ナ金ガアルカラ借リテ呉レヨト云フ。ソレヲモ断ツテシマツタ。 とある。 こういう金はうっかり借りてはいけない。横山雄偉という人物は、玄洋社々員として多少知られ…

『村岡伊平治自伝』の原本を目撃していた石坂洋次郎

日記オタのわしでも、知らなかった石坂洋次郎の『マヨンの煙』(集英社、1977年10月)。 石坂が昭和17年マニラ陥落後の1ヶ月後に宣伝隊員として従軍した時の日記だが、そこには次のように記されているという。 3月5日、(中略)村岡老人は南洋生活57年に及び…

日本基督教団紅葉坂教会牧師としての小谷部全一郎

『日本基督教団紅葉坂教会六十年史』(日本基督教団紅葉坂教会、昭和29年5月)によると、 小谷部全一郎は明治32年3月牧師に就任したが、同年10月辞任。 「小谷部牧師は十余年の米国の学窓生活を終えられ、帰朝された直後、在京宣教師の推挙により来任された…

村岡伊平治なるオジサンは本当に実在したか

先日の某紙に、どこかで見たことのあるオジサンの写真が載っていて、よくよく見ると村岡伊平治だった。講談社文庫版『村岡伊平治自伝』(以下『自伝』という。)裏表紙には、 明治時代の中頃、海外雄飛を夢みてシンガポールに渡り、女郎屋を開業。その後セレ…

藤澤親雄に盗作疑惑

唐沢俊一、じゃなかった、藤澤親雄に盗作疑惑が発覚! 矢部貞治の日記*1によると、 昭和16年8月30日 一日静かに藤沢親雄を読む。読む前は例の如く神がゝり式の偏狭と独断であらうと考へてゐたが、読んで見ると割に温[ママ]健でいゝ本だ。併し現代政治思想の…

中山忠直と竹内文献

SF詩人にして、日ユ同祖論者だった中山啓(中山忠直)の周辺には、澤田健や小谷部全一郎、三村三郎など、竹内文献がらみの人がいることはわかっていた。 しかし、思っていたより早い時期から同文献に接触していたことが判明。 大内義郷『神代秘史資料集成解…

長尾真治ではなく尾島真治だった

5月12日に言及した日ユ論同祖論の関係者、「長尾真治」は正しくは、「尾島真治」という人であった。 三村三郎の『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』によると、中山忠直が『シオン通信』*1第4号に「毒殺を計られたコト」を書き、明治41年の『福音新報…

今成覚禅と九鬼文献

4月3日に言及した今成覚禅は、三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(日猶関係研究会、昭和28年8月)に出ていた。 先日も福井市孝顕寺(松平春嶽、慶民等の菩提寺)の今成覚禅和尚がきて、氏一流の「新神道論」を聞かして下さつたが、その時の話…

大直会とはいったいどんな団体だったのだろうか。

マッドサイエンティストだったのではないかと私が疑っている諸岡存博士が、創設した「大直会」なる組織。 諸岡の公職追放該当事項は、「大直会主幹者皇国運動同盟理事」。 諸岡と共に創設に関わった白鳥敏夫(A級戦犯)のそれは、「戦犯大直会有力幹部興亜青…

諸岡存の『快食快眠快便』はトンデモ本に非ず

G.C.W.氏(6月7日分参照)によると、『快食快眠快便』(諸岡存著,実業之日本社,1939.5月初版)は、トンデモ本ではなかったようだ(参照:6月1日)。 追記:今日は、路面電車の日だったらしい。

毎日新聞記者としての中山忠直

馬場孤蝶の日記に中山啓、本名中山忠直の名前が出ているようだ。 紅野敏郎「『馬場孤蝶日記(新資料)の意義』(『文学』1982年1月号)によると、大正9年5月29日の条に 五月二十九日 土曜 晴 安藤来る。レエニンの論文の筆記を頼む。午後その続きを訳し、午…

女詩人としての山根菊子

『秋田雨雀日記』第2巻によれば、 昭和7年4月10日 夜−本郷の明治製菓で「詩と人生」「女詩人」の会へ出席、「ソヴェート文学」について話した。いい静かな会合で一時間ほど話した。二十五名ほどの若い詩人と十五、六名の女詩人が来ていた。消費組合に属して…

「茗和協会」と「大直会」

例のトンデモ日記(今のところ、タイトルは内緒)に次のような記述があった。 昭和19年10月18日 諸岡八時半ニ来訪、茗和協会ヲ組織シ、来ル二十日大東亜館ニテ発会式ヲ行フ為案内ニ来ル。 「二十日」でなくて、「二十一日」であれば、「茗和協会」改め「大直…

 黎明期の大東亜トンデモ学

戦時図書館運動(笑)、じゃなかった、黎明期の大東亜トンデモ学そのものと言うべき写真を発見! 「民族研究会創立当時の会員(大正13年)」なる写真だが、会員として、安江仙弘、中岡彌高(後に皇戦会理事長)がいる他、酒井勝軍に、何と安岡正篤までが・・…

 「図書群」に選ばれた諸岡存の著作

『出版文化人名辞典』第1巻*1の「現代執筆家一覧」によると、 諸岡存(モロヲカタモツ)明一二生、渋谷区金王町七五 出生:佐賀 出身校科名:九大医学、医博、職歴:九大助教授、駒大教授、現職:医師 所属団体:興亜同名[ママ]協議員、禁酒同盟理事 著書の…

中山忠直の暴走する妄想(その2)

中山忠直(中山啓)のSF詩『火星』*1に関する噂について書いた文献があった。 「昭和漢方の先駆者中山忠直」(『大塚敬節著作集』第1巻、春陽堂、昭和55年4月)によると、 この中山啓が自分の詩集を出版してくれといって、新潮社の玄関に、三日間坐り込んだ…

中山忠直の暴走する妄想(その1)

ヨコジュンさんのお気に入りで、SF詩人として著名な中山忠直は、日ユ同祖論者でもあったのだが、トンデモの領域を超えた妄想の世界に入り込んでいたようだ。 天羽英二(あもうえいじ)の日記によると、 昭和20年4月9日 沼津 中山忠直ナル狂気染ミタモノヨリ…